1/30/2011

ステンレス鉄筋とか,乾燥収縮規制とか。

ステンレス鉄筋の線膨張係数が大きいことは,周知の事実である。
鉄筋がさびなければ問題無い,ということで問題無いという立場もあるかもしれないが,それでも,温度変化のたびに,鉄筋周囲にひび割れは入りそうだし,鉄筋コンクリートとして,付着・定着に十分な機能が長期的に確保されるかについての懸念は未だ残っている。JASS5Nでは,そういったコメントが出された。仕様としてどう考えるかは,今後の課題である。
これも一種の相性問題の一例ではないだろうか。


先日,広島の講習会で,建築の乾燥収縮規制は下品だというご指摘を頂戴したけれども,我々はどんな人にも良い建築物を作ってもらうための仕様書という立場上,品質の確保ができない以上,仕様書にあるかぎりにおいて規制はやむを得ないという立場を取る。
耐久性に関する仕様設計というのは,どうしても,個別の品質を良い物にしなくては,無条件で良いと断じることはできないからだ。
各材料・構造の性能をうまく使いこなせる人には,性能設計の道を閉ざす物ではないし,それによって安価で合理的に良い物を作ることは建築業界では,励しているし,法律でも解放している。私は別に下品ではないと思う。

むしろ,様々なレベルの技術者・設計者がいる中で,地震国でありながら,これだけの建築物の性能を担保している国・建築業界のシステムというのはないし,世界に誇れる物であると私は考える。加えて,日本の一般の方々が望む建築物の要求というのは,非常に高いのだ。

オープンな社会で底辺を支えることの苦しさ,無条件で批判を受けることの苦しさを知っている人からの批判であるのなら,反省点として生かしたいとも思うが,立場自体が違っていて議論にはならないと思ったので,私はあえてその場では,反論しなかった。

私は幸いにも両者の立場に属したことがあるので,それぞれの良さ・悪さというのは,それなりに理解できているのではないか,と思う。立場が違えば,意見が違うのもまた,当然のことである。必要なのは,収縮問題があって,それぞれの業界でどう対応していくか,技術と経済性をどう折り合いをとるか,ということであり,その手法は,共通の部分もあるだろうし,そうでない部分も多い。

社会や研究の向上のための痛烈な批判というのは,私としては,心から欲しているものであり,76委員会でのご意見は,貴重なものだったと思う。




建築物の施主・設計者・施工者・法律を定める国,における責任分担が明確でなく,姉歯事件以降,建築確認という事項が,実質の許諾であるとの立場から,国の責任範囲が拡大してしまい,設計者の責任が低下することで建築物にかける建築業界のプライドみたいなものが揺り動かされてしまっていることは,こうした品質の問題と相補的な部分がある。
設計者が考えることを止めてしまうと,また,責任を取らなくなってしまうと,最低限の品質を確保するための法律・仕様書等の位置づけは相対的に上昇して,規制の社会的インパクトは大きくなるからだ。


社会において,仕様書をどう位置づけるか,というのは,建築学会各支部などで講習会や意見交換会をやって,我々の世代で再整理しても良いと思う。若手委員会ででも,提案しようかな。
個人的には,基準法をどうしていくのか,というビジョンの方がもっと大事だと考えている。これは,法学者・経済学者も含めて,インパクトについて再評価することから始めるべきと思う。壮大なプロジェクトだ。

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