8/28/2010

理系文系

少し前の読売でもでていたかとおもうが,
http://scienceportal.jp/news/daily/1008/1008271.html
理系・文系での給与の差


いまもって企業の中で,あるいは企業ごとに文系理系に区分けがあるのかどうかわかりませんが・・・,少なくとも,私は文系の方が給料が高いと習ったクチです。

高校の時の担任が東大の文学部出で,高校の時の同級生に文系いった方がよいよといって勧めたら,東大の材料かどっかの先生であるその親がどなりつけたということがあったような,なかったような。
結局彼は,文系にいったわけですが,その後ハッピーなのかどうかはわかりません。

ハッピーさからいえば,家庭の教育で何に心理的に飢えてしまい,それが満たされるかという構図で決まるような気がします。
研究者にもいろんなハングリーさで,すごさが出る人がいますね。アイデアがあふれてしまって,それをまとめずにはいられない人とか,この業界だと社会的権力が目標である人とか,ご本人の口からも伺ったことがあります。こういうのって,やっぱり,後天的なんじゃないかな,と思います。理由は無いけど。

8/24/2010

下の投稿について

下の最後の部分ですが,実験しない以外は,耐震診断業務と同じ内容ですね。
でも,ぜんぶ部材拾って,解いてみないとどういう考えてやったかはわからないだろうしなあ。
もっと工夫がいりますね。

弱い構造体を補強するのは,かなり難しいです。バランスを考えるというのは,重要のような。
特に曲げが弱いとか材料自体が弱い場合は,どうしようも無いというか,力を流す場所が無いんで。

50年後



元図引用 国立社会保障・人口問題研究所 金子隆一氏

先日,50年後の話をしましたが,今後を考える気になるいくつかの点と建築・建設業について。


上の図は,2055年,45年後くらいの日本の人口分布予測図です。超高齢化社会であることが見て取れますが,その中心付近にいるのが私,ということになります。生きていれば,という前提ですが。
80才ですね。

今後考えられるビッグプロジェクトとは,何でしょうか。今,ここでいっているのは,若い世代が考えて設計して,実施するという,技術を残すため,あるいは技術を前進させるためのそういう事案です。

今後,日本で大きなプロジェクトというと,建築では現在のスカイツリーくらいでしょうか。あとは原発が数個は作られるでしょう。これのメンテナンス,解体というのはある意味ビックプロジェクトではありますが,まったく新しいということでもないでしょう。
今後,都市を新しく開拓することはないでしょうが,縮約するためのリアレンジはするかもしれません。でも,政策的なのか,民間のディベロッパー主体なのか,地方でやるかもわかりませんが,多くみつもっても現在の建設規模程度のものでしょう。設計,施工,それらに新しい技術はないかもしれない。
個別事案で奇っ怪な形態をつくるという点で,建築には小さいながらの新陳代謝はあるでしょう。それは人間の本能にもとづくものですから。でも,こういう新築物件があるということは,70,80年代にくらべて,せいぜい25%程度の人間に対して,新しい成長の場を供給することができるものと思われます。

土木でいうと,リニア新幹線は大きそうです。チャレンジも多いし。技術的課題が大きい。残りの高速道路,新幹線はおおよそ設計ができているので,これはビッグプロジェクトとはいえないかも。港湾は新しい場はあるでしょうか。地下構造物は,今後も少し新しいことが行われそうです。CO2埋蔵,廃棄物の貯蔵,資源のストック,地下構造物は土木の今後のフロンティアの一面かもしれない。風力発電なんかも,フロンティアですね。

スマートグリッドは,土木・建築にインパクトを与えるでしょうか。建築の構造には与えないでしょうが,都市設計にはインパクトがあるでしょう。小学校を中心とした街区設計ではなくて,エネルギー主体になるでしょう。今後はお年寄りのコミュニティが中心となるような街の設計になるでしょう。少しづつの変化はあります。

こういった場の提供で,上の図のビッグプロジェクトの無い世代というのが育ちます。50年は大きいと思いますよ。こう考えると,その後の世代において,新しいことはできないでしょう。技術の継承もままならないし。そう考えると,日本の50年以降のビッグプロジェクトがもしあったとしても,あるいはビッグでないとしても,日本の技術者がその任を担えるでしょうか。
これは難しい問題だと思います。
容易に思いつくのは,中国のゼネコンが日本の公共事業を受注するという姿です。中国の国土から考えれば,土木技術者は向こう100年くらいは,技術の継承がなされるでしょう。すべて新築という形で。これは大きなことです。

もし,地方の公共事業が無くなったら,将来の新築の備え,災害時の復旧などについて対応ができなくなるものと思います。こういう土木事業が潜在的にあるというのは,一種の安全対策,福祉政策の一つにもなるべきものです。(この意見は昨日,ディスカッションさせていただいた企業の方に教えてもらったものです。)

技術継承というのは,先のトピックで鉱床学の話をしましたが,建築・土木でもそろそろ政策として,どの程度の人員をどの程度の規模で,どこに,どのように温存していくかという議論が必要です。

これは,国交省,土木研究所,建築研究所,大学の教員,地方と併せて議論が必要だと思います。若手でこういうディスカッションをしたいと思いますが,いかがでしょうか。


ちなみにですね,近々の大学を対象として考えると2022年には,13.4万人の定員割れが予測されていて,300名規模の学部が400ほどなくなる勘定になっています。
(参考資料リンク
最近,建築,土木の人気は落ちつつありますが,そういう中でどういったやりくり,ビジョンを描くというのは我々教員としても重要ではないかと思う次第。


今後,大学はメンテナンス学やランニング・解体時の話が主役になるでしょう。新築の学問も大事なんですが,市場は,建物の延命,リユースの方向に向かうモノと思われます。ただ,大事なことはその時代の設計や思想を理解した上で改良することなので,新築ができなければ,構造的延命もできないんじゃないか,というのが私の持論です。その新築の場をどういう形で提供して,人の血肉にしていくか,向こう50年の教育体系は,今考えるべきではないかと思います。

私の腹案は,比較的大きな建物の解体時には,政策として複数の技術者に対して研修という形で,鉄筋と断面を拾わせて,構造計算させ,振動実験やプッシュプルで壊すような実験をして,破壊プロセスを見ながら設計がどこに効いているか,ということを理解させるというものです。
どうせ壊すのであれば,そのコストを大きくさせる目的が一つ,そのコストを有益に利用するために,そういった施策を強制介入させて,技術者の知見にするというのはあっても良いかなあと。

コストを増大させると,経済的回転はさらに停滞してしまうかもしれないので,ある意味では諸刃の剣かもしれないです。いまの電化製品のように。でも,それで建物が延命の方向に行くのであれば,それもまたよしではないかと。


施工技術の方が実は難しいです。こればっかりは新築しないといけないので。この点については,もう少し考えて見ます。本当は,施工が一番チャレンジングで難しいんですよね。

あかん

日経が9000円割った。秋の二番底は,結構インパクトが大きいかもしれんなあ。アメリカも対策つづかなかったし,EUも決め手がなくて,ギリシアは離脱しそうだし。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/994

この記事は,最近,いろんな人にすすめているけど,わかりやすく,ポイントが絞られていているインタビューだと思いました。

8/18/2010

近況 その2

・英語での対外発表について,もう少し精力的に行おうと決意した。いろいろ原因があるが,やはり,技術は対外的にも出していかないと,日本のプレゼンスとして問題だと思うからである。
英語の能力は上がらないのがだが,最近はいろいろ便利なツールが開発されている。英字郎なんかもすごいツールだが,今回は対訳くんというアプリケーションを購入した。
例文の中から,正しい使い方をセレクトしていくというコンセプトのアプリケーションで,英訳例をたくさん登録していくと,自分なりの独立したツールになる。これは,論文という特殊用途においては,かなり良い手法のツールではないかと思う。ちょっと高いが,購入したので,しばらく使いこなしてみようと思う。また,報告する。

・お盆中に新しい試験装置が導入された。質量式の吸着等温線測定装置である。こういった装置はBell社が有名だが,定容法でカンタクローム社を選んだので,同一の会社のものにした。日本第一号ということで,立ち上げに時間がかかるということで,とりあえず,試しの1回目を行っている。シンプルな測定なので壊れることはあまりないだろう。湿度調節だけは,気にかけたいところだが。水も窒素バブリングの必要はあるかもしれない。
湿度一定の温度変化ができるとか,温度一定で処女脱着線からデータがとれるなど,いろいろ良いところが多い。欠点は時間がかかること。脱着線だけでも,1週間くらいは覚悟しなくてはいけないかもしれない。
本格的な運用は3ヶ月後くらいを目標にしたい。

近況

・新素材開発の依頼がもう一件きた。セラミック系のものよりもさらにビッグプロジェクトになりそう。さすがにこのプロジェクトは,当研究室だけでやるものではないものと判断して,周りの方々に協力をお願いしようと考えている。私が基礎研究よりのことをここ5年くらいやっていたせいもあるのかもしれないが,建設業をはずれると材料開発のスピードというか,その要求はめちゃくちゃ高いですね。私は,ちょっと耐用年数とかそういった点でどうも慎重に考えてしまうきらいがあります。


・盆で実家に帰ったら,子供の時につかっていたベニヤ板の層が崩壊していた。集成材の耐久性というのはどんなものなんだろうか。最近,木が環境関連で着目されていて,集成材による高層とか大空間などがもてはやされているが,接着剤というのはどういう位置づけで議論されているのか気になった。ちょっと一回しらべてみるか。建築というのは,結局,材料とかではなくて,おさまり,ディテールの研究なんだよな。鉄筋コンクリートだって,結局,付着・定着の話になってしまうわけだし。コンクリート自体だって,結局,界面がものごとを律速している。
木材こそ,ジョイントと接着面の集合体だろう。

・細田先生のブログにあったように,新潟方面で講演をさせていただきに出張しました。いやあ,無機材料はおもしろいですね。やっぱり。

・査読がたまりまくり。里帰りの新幹線で,とおもっていたが終わらなかった。時々苦言をここに書いているけど,参考文献などは,適切に引用していないというだけで,本当に落とされるんだということをわかってもらった方がよいかなあ,という論文が2本ほどきている。
恣意的に引用していないことが見て取れるので問題。

・ASCOTで座談会を行った。50年後の話を議論するわけだけど・・・。私がぼんやり考えたことは,以下のとおり。
経産省が示したように2030年には,再生可能エネルギーの割合は10%くらいにはなっているだろう。この調子でいけば,再生利用エネルギーの割合は,50年後には半分くらいになるかもしれない。
そうなると,エネルギーを使うこととCO2排出量とは独立した問題になる。
コンクリート業界はCO2排出を嫌っているわけだけど,そのほとんどは脱炭の問題。
ところが,コンクリートの解体・粉砕もエネルギー的に大きいが,CO2の問題を別にすれば,大してハードルがなくなる。コストの問題だけになる。
コンクリートの微粉を焼成してクリンカを作れるようになれば,CO2はほとんど出てこないセメントができる。
また,資源的にはクローズドロープが完成するので,これはこれであるべき姿ではないか。


このことから,今,コンクリート業界,セメント業界がやらなくてはいけないことは:
・再生可能エネルギープラントを各工場で持つようにする。特にコンクリート構造体の解体,分解,破砕プロセスについて,また,クリンカを焼成,粉砕するプロセスについて。
・コンクリートガラからセメントを再生するための技術の確立。重金属,塩素,その他の問題。エコセメントができているので,ほとんど問題無いとは思うんだけど。
・一部は,低温焼成+副産物という方向もある。(吉兼さんの案)
・ガラを運搬・ストックするための場所の確保,流通に関する研究
・再生骨材に関連する諸処の耐久性に関する研究,品質評価に関する研究(構造的にはもはや解決ずみ。)
て感じではないかな。
・破壊時にコストをかけるというやり方は,啓蒙活動として正しいかもしれないが,経済活動はシュリンクする。マイナス方向への投資というのは,特に気が向かないものだ。ということは新築時にその分をとる方向にすべきだけど,値段はその分割高になる。でも,当たり前ですね。
良い建物を作るというところにお金をかけるか,完全に再生できるようにお金をかけるかの2択になるように方向をすすめれば,世の中よくなるんじゃないだろうか。(8月18日午後追記)

なお,恩師の完全リサイクルコンクリートは,逆に脱炭をしてしまうので,避けた方がよいかもしれない。
破砕・分解のエネルギーと焼成のエネルギー,CO2排出に関するコスト・影響,のバランスで決定すればよいかも。

なんにしても,再生エネルギープラントを業界的にも実用化するのだから,エネルギーをつかっても問題が無い世界がくることを前提として話をする研究もあって良いと思う。

8/02/2010

政策のための科学?

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100802-OYT1T00777.htm?from=top

確かに,前回の仕分けの時のありさまは不様であったとしか言い得ないが,「政策としての科学」は,本質的に成り立つのか,という議論も必要だろう。
結局,これをアカデミズムの人だけに任せる(というか日本のアカデミズム的な人たちに)というのは危険でではなかろうか。


まず,天気予報もできないのに,将来予測はできるのだろうか。
たとえば,資源争奪戦が予測されるのに,鉱物学・鉱床学に力を入れず,結局アフリカとの協業をうまくやれないという事実がある一方,これを予測していた人たちは,行政側にいたのか?
鉱物学の先生の中に,経済的観点でこういう視野を持っていた人がいたのか?
現状,結局40才以下に,鉱床学ができる人はいない。フィールドの力だけでなく,鉱物学,および物理・化学を使いこなす総合的学問分野は,日本で芽がではじめたのに結局,育てることができなかった。

どちらかというと,こういう,今後どういうの必要な可能性があるんだろね,というリストアップのディスカッションとかの方が大事なんではないか,と思う。
その上で,予算配分を決めていくとか。
でも,将来予測ができないので,どんな分野にもエキスパートは残しておこうという考えに,私は賛成だ。


日本人というのは最悪の状態を予測できないだけでなく,そういった事実から目を背け,知見をくみ出すことができない。得てして,失敗した人間をさらに地におとしめることが多く,救いの手やそこから得られる利益をつぶしてしまう。

日本は,結局バブル時期の反省にういて「学」側の人間はどれだけかかわったのだろうか。不動産投資とか,リゾート開発の反省というのは,計画学的になされているのか。経済的な反省というのは,日銀の人がアメリカでリーマンショック時に話をしにいったらしいけれども,そういうのは,どの程度認知されているのか。経済学の中でどうやって説明してるのか。結局聞こえてくるのは,山形浩夫経由のクルーグマン談義とかになっているような気がするがが,そういう責任の所在不明の,いやなことはながしちゃおう気質というのが問題のようにも思う。

ま,そんなわけで,私の意見は,日本はもう少しまともな人の独裁などを許すべきだ。足の引っ張り合いをやめて。
日本人は民主主義になれてないし,使いこなすこともできない。民主主義は最悪ではないベターな採択がなされるということらしいけど,日本の場合,最悪のことがままある。

実は大学内も同様。本当に恐ろしいのは,反対をいいにくい環境が日本の風土としてあるので,(実はあとで直接言おう,みたいな感じで議論がすぎていくことが多くて),皆がメリットが無いとおもっている議決がどんどん通る。こういうのは本当に恐ろしい。

言葉が大きくて(文字通り大声で),必要なんだ!,という人が1,2名いると物事が通ってしまう。投票は一度なので,こういうの日本にはなじみにくいんじゃないかと。
そもそも,日本って,公開の場でものごとを決めたりしない。(私はあまりすきじゃないけど。)たばこの場とか,委員会の後の飲み会で物事のプロットが決まっていることが多々ある。これは,日本的文化であるのはわかるが,フェアではない。でも,これでモノが決まっている。
こういう,陰の形というのが中途半端になるので,投票とかってあまり良くないんだと思う。


決定に人が関われば関わるだけ陳腐でばかげた結果が生じるのは,こういう背景があるんじゃないかと思った次第。