1/24/2012

気づいたら

驚くべきことに,もう,1月が下旬になっています。
ここ最近は,大学では主として卒論生,修論生へのアドバイス,家ではいくつかの長期的な家庭のビジョン策定と双子の育児の一部,ということで,思索時間はほとんど電車の中しかとれていないので,どうも,論文を書こうと思っても伸びやかさがなくてやめてしまい,図版だけをつくっておく,というような状態が続いています。

1月上旬でのイベントとしては,一つはJCIの投稿がありました。今年,3人の4年生全員のJCI投稿を目指していましたが,残念ながら一人の学生は投稿できませんでした。収縮の構造挙動への影響をFEMで解析するというものでしたが,付着モデルの集束計算でつまづいてしまい,間に合わなかったという次第です。これは,全体のスケジュール計画における工数,日程の読み間違いで,出だしの好調さを考えると私のスケジュール管理の甘さが露呈した,ということになると思います。
今から考えると,各工程において目標点はいくつかあり,そのときに不安要素は無いわけではなかったわけです。というわけで,プロジェクト運用上の問題として今後,もっと自分の感覚を信じて強く指導するという形に反映させたいと反省しました。

4年生のJCI投稿では,骨材関係の論文と中性化関係の論文を出しました。耐久性関係の研究はずっと外には出していませんでしたが,そろそろ,名大では耐久性的観点にも応用が利くんだぜ,というところをアピールして置いた方がよいかな,と思って投稿した次第です。JCIの論文自体は,論文だけを抽出するとオリジナリティという点をどのように評価するかは査読者の方次第ではないかと思いますが,一連の論文をつなげますと,大変深い結果が出てきます。この点は,さらなる追試を今年10月くらいまでに終わらして,年内に黄表紙か英文ジャーナルに投稿したいと考えています。
骨材関係は,ずっとその影響について吹聴してきた仮説があるのですが,あらたな手法を採用することで,個人的には非常にインパクトの大きい論文に仕上がったと思います。なぜ,このデータが今までなかったのか,(いや,本当はあるのかもしれない。既往研究不足かもしれない。でも,JCIなどの報告書にはほとんどリファーは無い。)というようなデータです。
個人的には,収縮メカニズム論文以降のヒットですので,採用された暁には,是非JCIでもんだくださいませ。

今年は,勅使川原・丸山研で10件でした。(T:6,M:4)4年生のJCI投稿率は8割で,これはなかなかの研究室ではないかと自負します。M2にの投稿の有無で差が出てしまいましたが,この調子を継続したいと思います。



次のイベントは,センター試験です。毎年,必要以上にというか,ある意味では学生の人生がかかっているのであるからそれ相応に,緊張するイベントで,今年も試験監督をしました。あらかじめレクチャーを受けましたが,今から考えるとこれまた課題は多かったように思います。名大の先生は比較的まじめで,事前講習にも参加されるとともに,当日にも質疑があり,それによって多くの人が救われる事態があったように思います。
試験問題は隠匿すべきとは思いますが,試験方法くらい公開にすれば,ああいった問題はなかったように思います。なにゆえ反省事態をセンター試験の事務局だけですべきなのか,抱え込んでなんなのか,という問題があるように思います。
公共のイベントであることを考えれば,受験生のことを考えて,なるべくわかる部分は公開し,必要ならみなで反省して,それで次に進めばよいのでは,と思います。
過剰に抱え込んで,極度に緊張感が高まる故,ミスが多発することだって多いのではないかと。
なんにしても,心理的圧迫感は半端無く,この担当をしたくない,と主張する人が出てきても文句は言えないのではないかと思います。もう少しなんとか良い方向にもっていく手立てを国は考えた方が良いと思います。


話は前後しますが,12日は豊田講堂が文化財に登録されたということで,槇文彦氏の講演会がありました。私の大学の先輩ではありますが,もはや伝説の域にありましたし,私自身お会いしたこともないので,失礼ながら「まきふみひこ」と呼び捨てでした。なんというか,聖徳太子,と呼び捨てにするのと同じです。しかし,お会いしたからには,槇先生とお呼びすべきだとつくづく思いました。
私は,学生の頃にはデザインで食べていけたらと思うところもあって,いろんな設計者の講演会にも出席したことがあったし,それなりに文章も読んでおりました。磯崎新氏の文章も頑張って読みましたが,今から考えると半分も理解できていなかったと思います。槇先生の文章も同様ですが,ああしてご本人に時間と場所,その経緯についてざっと通して話していただくと,非常に合点がいく点が多く,今一度文章を読みたいという気になりました。
で,いろいろ講演会に出席しましたが,槇先生は私の意見では段違いに頭の回転が速いです。
その後,学生からの質疑の応答を見ましても,今もって現役で,脳みその回転音が聞こえてくるくらいの回転速度の速さでした。安藤先生とはまた別の意味での巨人でした。
おまけにジェントルマンでありまして,ああ,私なんぞは,隣のT川原先生とともに大学教員になってはいけなかったのではないか,と反省した次第です。私は,まったくもって庶民です。


最近もさまざまなプロジェクトの関係で分析装置を導入しています。今期も,いくつか導入しましたが,そのうちの白眉は湿度制御型TMAです。迅速に長さ変化等温線を測定できる装置で,長さ変化測定精度も含めて,非常に満足のいく装置でした。これについては,セメギで発表できれば,とも思っていますが,論文としての落としどころをどうしたものか,と悩んでいたりします。今まで1年くらいかけて長さ変化等温線を測定していましたから,これで収縮や水分に関する研究はさらに進めることができるのでは,と思います。おそらく長期で測定する意味も別の観点から再評価できると思われます。

ねりまぜきについては,複数の人から問い合わせをいただきました。もはや,広告料をとってもよいのでは,と思って利しますが,そういうことをやると大抵,後ろ指を指されて研究者生命が終わってしまいますので,けなげに研究者としてのコメントを継続したいと思います。

1/08/2012

謹賀新年

1週間遅れですが,明けましておめでとうございます。
昨年度の総括もままならぬまま,時間がすぎます。

年明けは,横浜の方に家族でくるまで初めて移動しました。新幹線のありがたみがよくわかります。自動車は年をまたいで,高速道の料金が細々変わっていたので,ああ,今年も,NEXCOをはじめ,皆さん大変なんだなあ,としみじみ思いました。

電力も,自由化とか,送電・発電分離とかおっしゃっていますが,日本だけは予定調和の中にいて,経済合理性が良く動いているということは理解する努力をした方が良いと思います。官製談合は良くないと思いますが,世の中はいろいろ痛み分けでうまくいっているということは良くあるわけです。

先日,ノルウェーの話を出しましたが,ノルウェーはそもそも水力発電と需給のバランスが良く,国内必要電力を水力でほとんどまかなえて,電気料金も安い過ごしやすい国でした。しかし,電力を自由化し,他国からの参入を許すと,国内の安い電力は海外で高く売れるので,国内電力は海外にまわされ,国内電力価格が高騰,おまけに水力だけではまかなえず,他の高いコストの電力を購入せざるを得ませんでした。
エネルギー問題は,国防および国家経済の根幹をなすインフラの問題でして,なんでも自由化が良いというのは,利益を得られる側からの発言であることは理解しないといけません。
国際的な経済戦争の場において,日本のためを思って発言する諸外国がいるわけがありません。

正月早々,電力網を韓国とつなげるとか,送電を分離するとかいう話題が日経で出てきましたが,国民のメリットというよりは,自分がその産業で利権・利益を獲得したいという人間からの発言に経済産業省が動かされるような形が見え隠れします。

昨年の夏,一斉に韓国で停電があったように,しょっちゅう低減する国の送電網とつなげて日本の需要として何のメリットがあるんでしょうか。韓国の原子力で発電した電力を買う,というようなドイツとフランスのような格好をめざしているのでしょうか。しかし,韓国で原子力災害があったら,偏西風でダイレクトに被害にあるのは日本であるし,そのことを考えても,リスクの分散が適切にできているとも思われません。
どういうビジョンとどういう国民のメリットがあるのか,というインフラである電力政策については,政府および霞ヶ関の方々には適切な説明をいただきたいと思います。

送電と発電の分離についても同様です。電力需要は工業,その他の産業の高度化にともなって,送電網を維持し,更新していく必要があります。今,東京の大手町近辺で大型ビルの開発が行われますが,電力網にそのビルを組み込むと数億程度の工事が必要になりますが,これらは,東電が負担しています。送電・発電の分離を行うということは,送電の中で利益を出し,そのための負担は民間が背負うということになります。
ビル一つ建てるための単価は,極端に高くなりますし,これは個別マンションでも同様です。どういう隠れたメリットがあって,どのような便益を東電が与えてきたか,ということは,送電・発電分離の議論によって明らかになってくるでしょう。

世代の問題もあるのかもしれませんが,過去の熟慮されてできあがったものとか,過去の経緯で最適化されたものというのは,日本人のあうんの呼吸で成立されてしまっているがために,あらためて掘り起こすとああそうだったのか,ということが少なくありません。
また,最近の人は自分を含めて表層的であり,どうも考え方の裏をあまり理解しないで議論している風があります。一つは謙虚でないこと,一つは目に見える情報で判断をせざるを得ないという環境があると思います。ものごとが高度化しているので,体験的に体得した感性で判断ができないというフィールド,実線不足もあるかもしれません。

難しいのは,60以上の層の方と話しているとこれらの認識は,当然のことと捉えているために,我々が意識して掘り下げて情報収集することが難しい,という点です。相手は当然と考えており,こちらは,何がそういった背景なのか,場所も宝もわからない状態で知識として体系化するのは非常に困難です。

大きな流れとしては,戦後という断絶,その後のバブル期以後の実線不足は,今後,我々の世代における一つの大きな課題となるように思います。徒労を良しとは思いませんが,実践的体験というのを30台前半までにいかに積み上げられるか,というのはノウハウ社会,超高度化社会におけるキーポイントと思います。

逆に,実践を経験していない方々が前後のバランスとか,ポピュリズムの結果として権力を握りますと,非常に社会的にインパクトの大きい害となるので,その制御も今後の課題ではないかと思う次第です。