8/11/2016

工学といういいわけ。

工学だから、ということを言い訳に、ものの成り立ちを理解しようとしない、原理原則から目を背ける、今まである解釈に固執して他を排除するっていうのは正しくないんじゃないでしょうか。 50年後によりよいものをつくる、次の世代に正しいものづくりを伝える、ものの成り立ちとその原理を明らかにしておくということは遠回りのようでいて、もっと素晴らしい建築とか社会基盤を作る上で大事なことなんじゃないでしょうか。 工学である以上、わからないことを考えてものを作る前進が前提なのはわかります。でも、だからといって、ものを理解しようとしないっていうのはやっぱり間違っているように思います。両者があって社会の両輪なんじゃないでしょうか。
最近、セメント新聞で二人のゼネコンの人がセメント化学は意味が無いと言い切りましたが、そもそも建設に携わる人間として、将来に伝えるための責任が欠如しているんじゃないでしょうか。これは別にお二方、っていうよりも、もう業界自体がそう考えているっていうこと事態の問題です。まるでそれが当然ともいう言い切りに釈然としていませんでしたが、昨日、金子先生と議論して日本にかけているもの、今の日本の問題そのものだったんだと思います。
そうじゃないという意見もあるかもしれないですけど、実用偏重、すぐでる結果偏重、その場をやり過ごすっていうのが多いような気がします。わからないものをわからないということも重要だし、それを受け入れる社会も大事、そしてそれを理解するよう社会として取り組んでより良くしていくことも大事。

私は100年後に繋がる研究がしたいです。自分の子供の世代のために。

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