8/07/2016

8月

8月って通常は院試だけがんばれば,わりと頭の整理ができる時間だったのに,最近はいろんな入試が増えていたり,オープンキャンパスとか,スーパーサイエンスハイスクールだったりとか,テクノサイエンスセミナだったりとか,名前と内容がよくわからないイベントがもりだくさんです。役割分担数が数として平等なので小さいFacultyからどんどん疲弊していっています。そして,役割がまわってくる若手が見るも無惨に研究ができていなくて,これまた,将来本当に大丈夫なんだろうか,っていう事例が多く見られる。

毎年,大学に文部科学省から払われる基盤的経費(運営費交付金という)についても,確実に2%とか3%減額されている(そもそもそういう約束だった。根拠は人口動態に対応しているんだと思う。)のだが,一方で,いろいろやってほしいことがたくさんあるらしくて,押しつけのイベントがすっごく多い。別に断れば良いんだと思うんだけど,教員と事務と執行部で考えていることはそれぞれちがっているので,かならずしも断れるものでもないみたい。

大学として,この衰退期に必要な方向性とか,縮退/発展のあり方とか,ルールの簡素化,個人個人の能力の引き出し方を議論して,文部科学省にはこういう方向でやります,っていいきれればそれはそれでよいんだし,能力を活かして好きなことをやりつつ成果を出すような形を描いていければよいんだけど,鶏と卵のどっちかっていうのは別として,一回受け入れてそれに対応しようとすると,その後の時間を捻出できなくて,ずっと後出しで負け続けるという負の連鎖がとまらない大学が多数あります。名大も一部はそういうところあるかな。

最近の事例でいくと,人事凍結っていうことで,建築系・土木系で人事が大学として留められている場所がかなり増えている。東海圏で有名な大学も,新潟の雄も,国公立大学で経理の運営をミスると本当にすごいことがおきるというのが実例として起きてしまっている。
そういう意味では,うまくいっている大学は定員を開けて運用することを行って,運営費交付金の減額と人員のバランスをとる計画を立てて運用しており,その点では名大は事務がしっかりしていてうまくいっているように見受けられる。

一応,日本の叡智を結集しているはずの小さな社会である大学でこのありさまなので,ダイバーシティが非常に大きいところで,日本はどうするかっていうのは本当に難しい問題なんだな,と思う。

もちろん,この混乱には世代間の危機意識の差が大きい。いままでの歴史の成功例をかたくなに守ろうという(そしてそれは当然今後には役立たない。)成功体験を抱えて大学を去ろうとしている年代とその下の危機意識の共有状況は大きく異なる。
もっとも雑用に追われている中堅どころ,というのは池井戸潤の言う,ロスジェネに相当していて,まだ,多くは教授職じゃないだろう。まわりではその世代の教授昇任がかなり増えているけれども。で,教授職でない場合には人事権も無い状態が一般的で,組織を変える根幹である人事権が無い状態で意見だけをいっても,その組織は空回りになってしまうだけなわけで。
権利と責任が一体になってこそ,そこに人材がいれば,社会が回転し始めるというわけですが,権利は確保して,責任は君ねとか,やることやっておいてね,というのがそこかしこで,(先の公益社団法人における委員会でも)みられるわけで,これはちょっとしんどいよなあと思われます。

一番つらいのは,当事者は全然そういう問題意識をもっていなくて,自分たちもそうだったからそうしているっていうだけで,人としては寧ろ良識的な人も,そういう問題点を無意識につくってしまっている,というところだろう。
もう,5年くらいすると主役が大分がらっとかわるんで,そのときにしがらみを切ろうかなっておもう,我々のまわりの世代がどの程度のこっているかっていうところが面白いんじゃ無いかと思います。


まあ,それで,日帰りで名古屋にもどってこざるをえなくて,一日中,高校生向けイベントのスケジュールを1から点検っていう,なんとももの悲しい日曜日を送っているわけです。でも,まあ,私の場合,まだ恵まれている方です。他の大学の方々と比較すると。
池井戸潤っていうのも世代間の違いとか,怒りとか,よくわってんなあ,と。スターウォーズのエピソードIIIもその辺と絡んでいて共感できる。


こんな晴れた日に昼から,屋外で飲めたら楽しいだろうになぁ・・・。


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