9/08/2012

9月1日 田舎の印象風景


家族で関市内の長良川沿いにいき,石拾いと水遊びをした。私は岐阜の景色が好きだ。
学生時代に先輩のT村さんに,岐阜の良さについて教えてもらい,半信半疑ながら,今の嫁さんと一緒に,ぐるっとまわる旅行に出かけた。関観光ホテルで鵜飼をみたり,郡上八幡の徹夜踊りに参加したり,白鳥の湯にいったり,といったような。





私は,それらのイベントなども楽しいとおもったが,むしろ,車を走らせていると目に飛び込んでくる黄金色の田んぼとか,澄んだ長良川とか,入道雲とか,単線とか,電柱とか,世界を黄色くするような強い夏の日差しだとか,そういったものの美しさに心を打たれた。
私はこうした景色を自分の子供と共有したいと思う。
同じ印象を親子で持つ,ということはなんとなく大事なことなんでは,と思うからだ。
いずれ,すべてが都市化する中で,コンクリート建物の景色を田舎と考える子供が出てくる。(おそらく,もう出てきているだろう。)でも,日本の田園風景というのは何かしら,別のものがあると思わずにいられない。
それは,ひょっとするとジブリの映画とか,あるいはエヴァンゲリオンの映像に示される日本的リアリティ,セミの音だったり,かげろうだったり,なんではないかと思う。
あそこには多くの日本の心象風景がデフォルメされて織り込まれているが,いずれ理解できない子供たちが出てくるかもしれないと思うと少しさみしい。自分勝手かもしれないが。

私の母方の田舎が伊那にあったこともあって,夏休みはよく,伊那で長い時間を過ごした。この田舎は,昔は村長の家でもあったこともあって,田の字型平面にいくつかの部屋が組み合わさった豪邸で,朝に夏休みで集まったいとこ同士で雑巾がけをしたとしても,結構な時間がかかる。水は家の前に流れる綺麗な用水をつかって雑巾がけをする。
北側の玄関は苔むしていて,箒で掃くのも,竹箒をうまくつかわないとできなかった。
天竜川沿いをあるいたり,雑木林でカブトムシをとったりしたような時間というのは,なんだかよくわからないけど,画像・映像として心に残っている。

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