10/17/2010

論文の査読

査読って、結局親切でやっているようなもんだと思うんだけど、どうなんでしょうか。

間違った論文を出してしまって一番恥ずかしいのと責任とらなくちゃいけないのは、書いた人でしょう。パブリッシュされたら一生残るわけで。
間違ったデータ出して、信用されなくて、以後相手にされないなんて哀しいじゃないですか。
大御所なのに勘違い論文なんて出してしまったら、陰口のオンパレードで最悪でしょう。
偉い先生ほど、そういうのはケアするもんだと思うんだが。

なので、間違っているものは間違っていると指摘してあげた方がよいし、考えとして立場が明確でない場合は引用文献を明らかにしてそういうのしっかりしておいた方がよいと思って指摘しているんだけど、あきらかにけんか腰の回答がかえってきたりしてげんなりすることが最近連続した。
やれやれ。


一部、特に海外のジャーナルにあるけど、自分たちの論文だけがサイコーみたいなノリになって、それと別の見解が示される論文を、意地悪な指摘で落とそうとする人たちがいますが、そういうのもなんとも・・・。
でも、論文でそれが本当にまちがっているなら、最大の意地悪はそれを指摘せずに通すことだと思うんですよね。取り返しつかないし、未来永劫、将来の学生とかに笑われちゃうわけですよ。それって一番怖いと思うんだけどなあ。


そりゃあ、がんばって書いた論文にけちがつけば気分を害すのは、まあ、なんとなくわかりますし、はじめは頭に血がのぼって余計に理解が足りないこともあると思います。でも、辛辣であればあるほど(意地悪で無意味な指摘は別として)、論文の客観性は高まるし、自分にとってありがたい話ばっかりなわけですよ。
無意味なものは別にスルーして、そうでないと言えばすむことだし。

なんか、大学の評価などで論文の数なんかが評価対象になってしまっているので、数稼ごう、みたいなことになっているのかもしれないけど、本筋はそういうところじゃないと思うんですけどね。



また、別話。
論文の査読がひっきりなしにくるようになってしまった。年輩の先生方が良くおっしゃっていたように。
特に英文ジャーナルなどが増えてきたのと、あとはアジア系の新しいジャーナルの査読依頼がよくわからないスパムのようにくる。スパムというと失礼かもしれないけど、どんな経由できたのかまったく理解できず。きっと誰かが推薦してくれたんだとは思うんだけども。
でも、投稿したこともないのに、アメリカ化学会とかの論文は、いくらなんでも人間違いではないかと思われて、そういうものはお断りしている。査読できるものしかしません。
海外の研究助成の査読とか、そういうのも多い。最近増えているんだろうけど、2,3カ国連続できたのでびっくりした。なんか自分も出さないと損な気がする。

それとそれと某日本の学会から、難しい論文ばかりひっきりなしにきますが、どうしたことでしょう。(ビフォアーアフター調で)。最近、黄表紙の査読数頻度を超えてしまっているのですが。

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