6/03/2012

最近はやりの・・・。

橘玲氏,というわけでもないけれども,全体の資産から考えると,国立大学法人に所属する私というのは,ポートフォリオが日本に偏り過ぎている。最近の給与削減の件でも,やっぱりそういうことだなあ,と思う。

自分の可能性というのを再確認したいとも思ったので,東京出張中に異業種に進んだ友人達と積極的に時間をとって話をした。別に明確な意志というものは無いので,その場その場でのディスカッションも成り行き次第だったわけだが,ちょっと話題としては面白いトピックだな,というのがあって,ここに書こうかと思ったのだが,文章を書いたところで,なんか,後半部分が消えてげんなり,というのが今の状況。





なので,簡単に要約を再度記載。
議論のキーワードはベーシックインカムでした。

生活保護制度は賛成です。社会の最低限の補償としてあった方が良い。職にありつけなくて,すぐに餓死する社会というのは少し貧弱だと思う。ただし,今の受給条件,生活保護のあり方,継続判断,その他には改善の余地があるように思う。個人的には,子育て,介護,農業,国土防衛に関わるマターは,国の問題として捉えて徴用して,それに対して対価を払う形というほうがわかりやすく良いように思う。勤労の義務を果たせるようにサポートする,というのは国家および教育として大事ではないかと。

イギリスの昨年の暴動の時に,その暴動の背景について議論がなされていた。福祉政策の一つとして,カウンシルフラットとpersonal allowance,Child benefitといったような保護制度があるが,利権化がすすみ,階層が固定化されて,まったく労働意欲が無い層とそれに税金として金を払い続ける中間所得層の絶望の話が示されている。


日本の生活保護制度にも,統計的データとして出ているわけではないが,そのような潜在的危険性があることが推察される。現状の問題は,特に税金を支払っている側からの不公平感であろう。特に最低賃金との逆転があるとなると,これは議論が出てしかるべきであろう。また,身内に高所得者がいる場合や,組織的にこれを宗教(宗教団体が生活保護受給が可能な人間を組織して,お布施に回すというのは容易に考えられる。)や自社の収益源(名義を別人として,保証人にしてローン回収に生活保護費を見込む)としている団体がある場合には(私が考えつく位だから,すでに実施している団体はたくさんあるでしょう。)議論が波及してしまうのはやむを得ないというのが現在の感想である。
結果の平等を期待する日本人は,許し難い不公平はやはり追求してしまうと思うのです。



さて,ベーシックインカム。社会保障制度をあまねく行うというもので,ホリエモン氏がBlogで言及したり,山崎元氏も言及したりで,ご存じの方も多いかと。

この手法でいえば,生活保護と異なり,結果としての平等という観点から日本人にとっては望ましい手段なのではないか,という議論になった。ポイントとしてはWikiにもあるよに,いくつかの観点から議論がなされているので,それをやるべきかどうか,というディベートになるときには,どの観点からの議論とすべきか,に注意を払う必要がある。

Wikiに記載されているように,労働意欲の妨げには成らない,というのは職がある人間で特に,社会的評価が確立するようなポジションにある人にとっては,そのとおりではないかと思う。
一方で,単純労働である場合で,移民等の賃金と競争にさらされているような環境で,賃金とベーシックインカムとのバランスが悪い場合は,容易に脱落が起こりそうだ。労働者の受け入れを考える場合には,こうしたバランスを考える必要があるし,その場合のコスト(結局,生活保護を受ける日本人の労働者一人が余ってしまう)は結局のところ,税金として対応されるのであれば,それだけの意味が無いことになってしまう。外国人労働者の受け入れ,というのはそんな簡単なものではないことがこの話でも良くわかる。
最近では,介護分野でフィリピンからの受け入れが行われているようだが,その分,日本人の潜在的雇用が失われているのであれば,国全体としては問題のように思う。この費用を考えれば,介護分野の補助金を上げて,日本人の雇用を増やす方が良いのでは,という議論も当然起きうる。月15万円分払えるのなら,その分,アップした方がよいんじゃないか,と。

ベーシックインカムは,生活保護同様,消費を担保するための役割を担うといことを指摘しているが,より良い消費というのは,消費が諸費を生み出すようなものであり,生産価値の高い消費(そんな定義があるのかはしらないが)が重要で,賭博のように再分配するだけの消費はあまり望まれない。表現は適切ではないかもしれないが,勤労意欲を失った人材は,もはや,与えられた限りの収入を,政府の変わりに消費しているだけなので,消費の多様性を担保する以上の役割を担わない。

経済が,信用(借金をする,将来のために投資をする,etc...,これらはいずれも将来の期待に対応して人間活動に幅をもたらす。将来収入が増えそうなら,借金をして家を今購入するという判断がなされるでしょう。でも,今の私はそういうことをする動機が無い。)のもとに拡大をすることを望ましいというのであれば,将来への期待感を醸成することが重要だ。
労働,投資,なんでもよいけれど,生産をすることの楽しみ,期待感を共有するための施策が。ジョブスキルの育成というのが,単純な対応ではあるが,そのスキルをもって労働意欲や,あるいは将来への生産の拡大欲求が生じるかという観点でものを考える必要がある。
ベーシックインカム単身ではこの信用拡大にはつながらない。将来への期待につなげることが信用拡大になるのだから,このギャップを埋める必要がある。

人は,スキルを得られれば,それを実行して,お金を稼げて,そのスキルに見返りがあることがあれば,そのスキルをさらに磨こうと考えるだろう。これは,一つの手法である。ただ,みながみな,こういった形で評価されるとも限らないし,うまくいかないこともある。こうしたことを主眼として,大学なり,社会人学校なり,ポジティブなマインドを与えるフレームワークは,今後,日本に大きな貢献をするんじゃないかと思う。
社会人を教育するシステムを構築する,ということは社会の中にこうした希望の種をまく機械を組み込むことであるべきだ。

簡単なブレーンストーミングでもいくつかの議論はすぐに出てくる。

で,別に結論はないんですけどね。こういうの,学生とも議論を共有した方がよいかな,と思って記載した次第。








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