3/18/2010

環境学雑感 その1

GCOEでは,医学のアナロジーとして臨床環境学と基礎環境学というのを提案している。これは,いわゆる個別のディシプリンに従った学問体系を臨床という現場対応の場を共有して横の提携を行うとともに,それを抽象化して,個別問題から基礎環境学の場において体系化を行い,現場にフィードバックするということを行うものである。既存の理学的な研究で,いわゆる物事の理解・分析と工学や社会学が合わさり,枠を超えた連携をしましょうと。

これは,GCOEの中の臨床環境学のリーダーである中塚先生のプレゼンにあったものだが,食料不足から農耕地開拓・農業技術の発展によって,食料不足問題を克服したとしても,人口増大にともなって,農地不足という問題が出てきて,農地問題を克服するために,干拓や開墾を行うが,自然破壊を行うことで想定した食物がとれなくなる,というように,今までの人類の歴史は,工学的なあるいは,場当たり的な対応によって新たな環境問題を生み出す,スパイラルループになっている。

このこういった人類史上の問題で,今後,どのような枠組みで脱却を図れるのか,という大きな問題のチャレンジの場がこのGCOEの設立趣旨である。つまり,対応をとったら,さらなる問題として何が起きるかを予測し,さらに高みを目指しましょう,ということだ。


これは,非常に哲学的・宗教的な問題をはらむ。つまり,自然,あるいは地球に対して人間はどのようにすべきか,という価値観が学問的研究の中に入り込むからである。
従来は,あくまでも人間至上主義的であり,その場限りの短いスパンにおいて,人間は常に支配者であり,自然に対して自己の都合を押しつけた結果を要求してきた。

ここでおもしろい矛盾を紹介する。地球という有限な場の中のサステナビリティーを考えた場合に,人間の行動規範をなにがしか自己制約しようということは,人間至上主義の上に成り立つが,一方で,ガイア理論のように人間も地球の一部であるという理論の中で,自己で制約をかけるということは,逆に成り立たなくなってしまう。
完全なガイア理論の立場に立てば,人間は合理的な利己主義を貫き通して,長生きしようが,あるいは種として短命におわろうが,結局,次の種が生まれるまでのつなぎでしかない。地球を支配しようがしまいが,いずれは何かの終わりを迎えるという点で,完全に人間側の行動はどうでもよくなってしまう,ということである。

結局,自分があっての世界であるという意味で,人間世界の限界というのが見えてくる。我思う故に我あり,である。

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