5/31/2014

5月最終 その2

そういえば,今日は,真夏日でした。32度を超えるっていうのは,世の中そういうもんなんでしょうか。5月なのに。

一つ前のおもしろイベントでコメントしましたが,最近は管轄省庁ではグローバル化,みたいなことをしきりと言っています。助教のテニュア問題というのもありまして,世界的な優秀な人材を集めてこよう,とかいっている人たちもいるわけです。でもね,もう少し現場の状況を考えた予算の枠組みとか考えて欲しいわけです。





たとえば,世界で優秀な人材を例え高額で雇えたとしましょう。まあ,今の助教の倍くらいでしょうか。1000万とか。で,英語ネイティブで日本語できない,と。で,事務はそのサポートできるんですかね。海外との共同研究や特許関係,その他をスピード感あって進められる事務サポートっていうのにどれくらい予算は避けるんでしょうかね。
プロジェクトだって日本ならではの慣習がいっぱいあって,そのあたりの文脈を説明してあげるサポーターというのもなければ,全然,日本で活躍してもらえないわけです。
また,世界的に今後を期待されている枠組みが,日本の大学の助教になったら,事務作業なんてまったくしないわけです。当たり前ですけど。

現状は,毎年一律に5%ずつ,予算を減らす政府の方針について,根本的改革ができないまま,大学としては撤退戦をやっているわけです。事務の方も残業をされている方が多いですし,大学の教員は外部資金をとるためにえらい働いているわけです。(工学の先生をイメージしているので,文系とか理学系の人はわかりません。)外部資金を(あまり)とってこない先生だって,たとえば,研究組織の運営のため,マネジメントにすごく時間を割いているわけで,本当に総力戦で予算減額の中,撤退戦をやっていまして,その中で助教の先生は,やっぱり同士というか,仲間なわけです。

我々だって,研究いっぱいやってもらって羽ばたいてもらいたいですけど,完全に雑用フリーの環境を整備してあげられるわけでもなく,院試や入試では試験監督をお願いするし,組織のプロジェクトに参加してもらって,必ずしも自分のやりたい研究,というものではない研究プロジェクトの一員になってもらうということがあります。こういうのは,場合によっては雑用ってことになると思います。

こういうの日本的なあうんの呼吸で組織の一員として頑張ってもらっている,という状況です。今のところ,うちの大学では,それで使い捨てみたいになった人はなく,なんらか,みな次のステップに上がっています。(名大の准教授に上がった人は,私が所属してからはいませんが。)

でも,こういう環境のなかで英語バリバリで,研究しかしないっていうの許容できるとは思えないんですよね。マンパワー的に無理だと思います。



たぶん,予算の枠組みの組み換えをしなくちゃいけなくて,早期に大学をいくつかつぶすか,とか,大学内で生き残りのために,学部を1,2個潰すかとかしないと,到底そういうゆとりは生まれないです。
でも,会社じゃないんですよね。不良債権化している部門を切り離してっていうわけにいかないですよ。歴史もそれなりに重ねて来たわけですし,教育の成果は30年後くらいにやっと社会的インパクトして見えてくる,というような状況でそんな判断できないわけです。私立ならまだしろ。

なんか,わかりやすい案をぶら下げるのはいんですけど,落とすところまで見えて言ってるんですかね。つぶせっていうなら早めにつぶして,伸ばすところを絞ったほうがよいんですが,日本の社会で自発的にそういうことって基本的に無理ですよね。外圧でやるしかないので,独立法人とかいっても,予算のためにゆうことを聞けっていう役所があるんですから,それくらいのことを責任とって覚悟を決めてやってもらったほうがよいんじゃないかと思います。本当に今の方向が100年後の日本に良い方向だと自信をもって政策を進めているのなら,そこくらいまで具体的に強権を発動した方が良い。

多分,3,4年後でしょうか,日本の大学がどんな状況になっているのか,というのが一つの試金石になるんでしょうか。淘汰を超えてすごい強い大学が残ったら,それは進化だったのだと捉えて喜ぶことにしましょう。

経済的に独立できる大学が本当に日本で生まれたら,と思うこともあって,そういう意味では私立大学にも別角度でぜひとも頑張ってもらいたいと思う次第です。

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