2/12/2012

発表会など

卒論,修論,博論の発表会が一回りしました。学生諸君はご苦労さまでした。

卒論:みなよく頑張ったと思います。教員側の質問は,人によってクオリティが異なっている点は私自身の反省も含めて,今後検討していきたい課題です。卒論発表時における良い質問,というものは,学会時のそれとは大きく違うようにも思います。
学生は,あるスタディとして卒論を行っていると思いますが,頑張って専門的に深くいくと,一般論になるほど答えにつまるという傾向があるように思います。エンジニア,という立場から考えれば,研究の背景・位置づけを理解しておけよ,ということになるのでしょうが,業界全体を見渡すことのできない学生にとって,導入部の質問について,臨機応変に答えるというのは結構な力量がいるでしょう。卒論の研究に関する質問としては,やはり半分くらいは相手の懐に入って行う質問が適切なんではないか,とも思います。
一般論的な質問というのは,答えることができて当然という雰囲気が出ている分,答えられない卒論生にはこたえる質問なんじゃないか,と思います。
褒めればよいわけでも無し,このあたりの間合いの見極めが重要という感じです。先生の技量を見るという形で学生からの楽しみとするくらいのゆとりがあってもよいかもしれません。


修論:それぞれのそれぞれなりの個性が結果として出た発表会だったように思います。普段から,どのように深く考えるかということを課題として課してきましたが,その実力が良くも悪くもそのまま出たように思います。修論の完成度をどの立場からみるか,というのは非常に難しいです。修論くらいになりますと,研究量,実験量,考察量が膨大であるから,というのと,そうはいっても学問的深化というのは,そうは簡単にいくわけもなく,ましてやコンクリートのように100年使われていて,まだ理解されていないことの方が多いというような材料を相手にしている場合に,これだけ深化させました,なんてことはなかなか言えないから,というのが理由です。
膨大なデータで,かなり良い線を行ったとしても,これはこういう新しいデータをとってここまで肉薄しました,ということにとどまっているわけですが,その地道で重要な研究上の前進をどのように表現するか,というのはなかなか難しい課題です。プレゼンでも悩んでいましたが,そのプロセスこそが大事かな,と私は思います。
華々しく,これができました,という論文は,本当にすごく突き抜けているか,大した研究でないかのどちらかです。個人的には後者の方が多いと思います。
工学とは,皆がイメージするよりは,ずっと地道なものです。


博論:私の博士第一号(になるはずの)学生の発表が終わりました。彼もまた,彼の業績に反して,発表に苦労していましたが,それでよいのじゃないか,と思います。やったことを全部いうのは間違いだし,何がわかったか,ということを伝えるプレゼン上の技術は,研究成果のすべてでではダメです。博士論文自身の骨格以外は,参考論文とか付録にしてしまえばよいわけで,その「捨てる技術」こそが工学です。


学問だけでなく工学は,「捨てる技術」が大事です。なにかを取捨選択するそのプロセスにおいて,考え抜き一つを選ぶという行為は,自分の脳みそと胆力と責任の問題なわけです。何百億円のプロジェクトを背負っても,自分の経験と知識(人脈含む)で責任をとれる,ということが重要です。こういう可能性もある,とかいって逃げてはいられない場合がいつか来ます。
あるいは,日々の生活がいつでも,そういった取捨選択の積み重ねです。
学生諸君の一日の重みについては,もっと真剣に考えてもらいたい時があります。

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