8/02/2010

政策のための科学?

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100802-OYT1T00777.htm?from=top

確かに,前回の仕分けの時のありさまは不様であったとしか言い得ないが,「政策としての科学」は,本質的に成り立つのか,という議論も必要だろう。
結局,これをアカデミズムの人だけに任せる(というか日本のアカデミズム的な人たちに)というのは危険でではなかろうか。


まず,天気予報もできないのに,将来予測はできるのだろうか。
たとえば,資源争奪戦が予測されるのに,鉱物学・鉱床学に力を入れず,結局アフリカとの協業をうまくやれないという事実がある一方,これを予測していた人たちは,行政側にいたのか?
鉱物学の先生の中に,経済的観点でこういう視野を持っていた人がいたのか?
現状,結局40才以下に,鉱床学ができる人はいない。フィールドの力だけでなく,鉱物学,および物理・化学を使いこなす総合的学問分野は,日本で芽がではじめたのに結局,育てることができなかった。

どちらかというと,こういう,今後どういうの必要な可能性があるんだろね,というリストアップのディスカッションとかの方が大事なんではないか,と思う。
その上で,予算配分を決めていくとか。
でも,将来予測ができないので,どんな分野にもエキスパートは残しておこうという考えに,私は賛成だ。


日本人というのは最悪の状態を予測できないだけでなく,そういった事実から目を背け,知見をくみ出すことができない。得てして,失敗した人間をさらに地におとしめることが多く,救いの手やそこから得られる利益をつぶしてしまう。

日本は,結局バブル時期の反省にういて「学」側の人間はどれだけかかわったのだろうか。不動産投資とか,リゾート開発の反省というのは,計画学的になされているのか。経済的な反省というのは,日銀の人がアメリカでリーマンショック時に話をしにいったらしいけれども,そういうのは,どの程度認知されているのか。経済学の中でどうやって説明してるのか。結局聞こえてくるのは,山形浩夫経由のクルーグマン談義とかになっているような気がするがが,そういう責任の所在不明の,いやなことはながしちゃおう気質というのが問題のようにも思う。

ま,そんなわけで,私の意見は,日本はもう少しまともな人の独裁などを許すべきだ。足の引っ張り合いをやめて。
日本人は民主主義になれてないし,使いこなすこともできない。民主主義は最悪ではないベターな採択がなされるということらしいけど,日本の場合,最悪のことがままある。

実は大学内も同様。本当に恐ろしいのは,反対をいいにくい環境が日本の風土としてあるので,(実はあとで直接言おう,みたいな感じで議論がすぎていくことが多くて),皆がメリットが無いとおもっている議決がどんどん通る。こういうのは本当に恐ろしい。

言葉が大きくて(文字通り大声で),必要なんだ!,という人が1,2名いると物事が通ってしまう。投票は一度なので,こういうの日本にはなじみにくいんじゃないかと。
そもそも,日本って,公開の場でものごとを決めたりしない。(私はあまりすきじゃないけど。)たばこの場とか,委員会の後の飲み会で物事のプロットが決まっていることが多々ある。これは,日本的文化であるのはわかるが,フェアではない。でも,これでモノが決まっている。
こういう,陰の形というのが中途半端になるので,投票とかってあまり良くないんだと思う。


決定に人が関われば関わるだけ陳腐でばかげた結果が生じるのは,こういう背景があるんじゃないかと思った次第。

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