9/16/2014

AIJ年次大会に参加しました。

AIJの大会に参加してきました。大分,参加のスタイルというものも変わってきました。

・打合せが会議中に全部で6回というめまぐるしさで,初日午前の収縮・クリープと最終日の建物調査の一部,以外材料系のセッションには出られませんでした。

・発表は,お祭りなので良いのかもしれませんが,もう少し過去の論文を見るとか,世界でどういう議論がおこなわれて,どのへんまでが常識になっているとか気にしてほしいと思いました。学会での発表なので宗教的なのはやだなあ,と思いました。





・同じく,データを出すプロセスについても,予備実験をしているのか,再現性チェックをしているのか,ちゃんとやる場合の手続きをなぞっているのか,などがすごく気になりました。まちがった分析で新しいことを発見しましたと言われても,こちらとしては難しい顔しかできません。一応,旧帝国大学ならそれなりの勉強はして欲しい。
水酸化カルシウムのTGの定量を例にとれば,測定前の調湿環境で30%は定量値が違うことは意識しておくべきでしょう。また,日本で割と使われているD-dryの装置では炭酸化が進みやすいものがあることとか,105℃乾燥も炭酸化が進む装置が存在することなどは知っていて発表して欲しいです。そういうことをケアしてないんだろうな,というのがわかる実験結果はもはやほとんど意味が無いし,お金・税金の無駄です。

・過去のフライアッシュ,シリカ系の反応についても,厳密なトレースをするとフライアッシュと水酸化カルシウムのインタラクションも簡単なものでないことがわかります。スラグも同様。そりゃ,まあ,簡単な化学式で示されるなら,こんなに研究やっている人が残っているわけがないのですが。
炭酸化も同様で,もっと既往の研究を見られるとか実験条件の感度を確認するとかして欲しいところです。上にも記載したようにXRDとTGでポルトランダイトの定量値が合わない,合うというような議論がありましたが,それが一体物理的に何を意味しているのか,水和のプロセスを考えてC-S-H中のカルシウムがどういう振る舞いをしているのか,水がどこに存在してどんな役割をしているのか,などにまで一度踏み込んで議論するべきなんじゃないでしょうか。うちの研究室でも小出しにしてきましたが,どこかに総論的なことをパブリッシュできるように取りまとめたいと思います。


・原子力セッションでは,維持管理関係で重要なデータがすごく沢山でていますが,材料・施工側であまり意識されていないようです。構造の人と議論することが大事なので,私もここ数年,構造/原子力セッションで発表するようになっています。コア抜きの問題,コア強度をどのように考えればよいか,というのは嵩先生が中心となって,ここ数年良い議論が出ています。維持管理指針にもそれなりに反映されでしょう。ああいう丁寧なデータどりと議論をして,学会として科学的な基礎が構築されることが大事だと思います。

・乾燥による剛性低下と建物応答の話は,賛否両論ありましたが,議論としては盛り上がりました。瀧口先生にはかなり手厳しいご意見もいただきましたが,原子力の現場の方からは,それなりに好評をいただいました。解析技術については,ここ数年でこの考え方をもう少し深堀りできたらよいな,と思います。佐藤良一先生のやられた耐久性力学の概念の延長にもなるんじゃないかと考えています。

・原子力PDでは,パネラーとまとめ役で出ました。ディスカッションでは,会場から友澤先生の非常に良い質問がありましたし,パネラーも癖のある先生方や業界の方が多かったので議論としてはかなりまとまりのあるものになりました。規制庁のガイドラインについては,やはり建築学会として申し入れをしてもよいのかもしれないな,と思いました。会場からの声もあがりましたし。

・最終日に,環境系の特別委員会の会合に出ました。吉野会長から直接メールが来たので,断るわけにもいかず・・・。内容は対福島のための委員会ということで,放射線とすまい環境に関わるものでした。
材料施工で対応した時からそれほど世の中がすすんでいるわけではないのですが,都市,建築の観点から取りまとめることは有意義ではないかと思います。特に,こういったことを機会に議論を重ねることは,将来に必ずつながります。たとえば,島根原発は,唯一30km県内に県庁所在地を抱えています。ここの防災対策を考える上では,都市,建築の人間が放射線のリスクなどについて知識を深めることが非常に大事です。そういう観点でも福島の事故を通じて,現状と放射能の問題について理解を深めておくというのは大学人として当然の責務ではないかと思いました。


・昔は,データをとってカーブをひいて,安全率考えて設計式を出すというようなことでよかったのかもしれません。でも,それで引き起こされた間違った慣習などが残っているのも事実です。たとえば,強度とヤング率の関係。水和中と維持管理の強度が出た後では明らかに挙動が異なり,データもそれぞれ示されたはずなのに,どのように考えるべきかが議論されていません。(今回のAIJでその辺りのことは大分突っ込んで議論しました。)

「正しい,再現性のある」データにもとづいて議論をして,学会としてのスタンスを決めていくということが大事なのですが,その際には,実験測定の問題を意識して,その限界や問題点を把握しながら,正しい/再現性のあるデータがどういったものなのか,ということの議論も併せてしていくべきでしょう。
ぱっとやってみて,こんなデータがとれたということを言うだけの人が多すぎて,それでは変な宗教が生じるだけのような気がします。データはもっと裏付けなり,議論なりがあってこその価値であるということをもう少し大学研究者から反省していくべきではないでしょうか。今のままでは,残るデータがなくて,ただ,わぁわぁデータだしている間に国際的にいろんなことが形付けられてしまうということになってしまうと思います。

その観点では論文を公開するときにどういうスタンスであるか,ということも明解にしておく必要があると思います。


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