12/15/2007

経済格差・情報格差・企業モデルとウェブ

最近,日本経済新聞の提灯記事(消費税を賛成する人間が6割を越えたというもの)を見て,いろいろ疑問に思っていて考えたことがある。

基本的にウェブ上のサービスは無料モデルが支配的で,金銭を払った会員制のサービスモデルというのはなかなかはやらない。よほど専門に特化したものであるなら,可能なのだが一般大衆向けサービスでは無料モデルにかなわない。

無料モデルは結局広告収入に頼ることになる。古くはYahoo,現在ではGoogleが多くの宣伝を代理店として取り扱っている。思えばこれは,テレビと同じ構造で,スポンサーがいて,一般の人は無料で情報を享受している。ただ,最近のテレビ報道でわかるように多額のスポンサーの支払いでなりたっているので,スポンサーに不都合な情報というのはテレビを通じて我々には来ない。
本来は報道と新聞というのは独立関係になっていて,異なる報道機関の独立によって報道の自由度というのはトータルで担保されるべきと思うのだが,日本の報道は新聞とテレビ・ラジオはいずれも同族企業になっている。

結局,資本家の暗黙の制御が報道には働いていることになり,お金を持っている人に有利な情報しか,テレビ・マスコミには流されず,いくらジャーナリズムといっても,所詮は資本家の手の上で踊っている。完全に独立したジャーナリズムというのは,NHKであっても無理であり,それは国のお金が投入されているために,結局のところ,政府(すでに国民と政府・官僚は対立関係にある部分がある。不思議なところであるけれども。)の意向にそったものしか作れない。

そうはいっても,民間の資本家の意見が反映されないと言う意味で,NHKの独立というのは守られるべきで,それゆえ,NHKは視聴率争いから独立したジャーナリズムを歩むべきであるのに,そういうことを彼らはやっていない。
僕はテレビをもっていないが,NHKがこうした報道をするようになるのであれば,金を払う。テレビが無くてはも払いたいと思う。

そういう意味で,個別の人間がブログにニュースを書くという行為のみが真にジャーナリズムの形に違いが,そこに費用と責任が生じない限り,生計を立てることは難しいだろう。

そういった観点から,ウェブというのはインターネットができた当初からジャーナリズムを変えるといわれてきたのだが,それでも,結局広告モデルがはびこったため,資本家の手の上で踊ることになる。

情報格差はますます生じ,無料モデルを好む庶民は暗黙の上で,資本家の息のかかった情報にしか触れなくなり,マインドコントロールされてしまうのだろう。

そういう意味で,インターネットを用いた個の独立というのは,結局のところ広告ビジネスによって旧来型のマスメディアと同等な手順でうまく型にはめられた,といえるのではないだろうか。結局独立するには,資本から独立しないといけない,ということです。

そういう意味では,経済的自由主義というのと個人の自由というのは,なかなか同時に達成できるものではないな,とも思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿