仕分け人の話を聞いて,憤りを感じて涙が出てきた。
野依先生の抵抗もむなしかったと聞いて,この調子で日本の技術の屋台骨が骨抜きになるような怖さを感じた。
技術や学問は国が全力を尽くして戦うものであって,軽く流して位置を保持できるものではない。2位じゃだめなのか,という言葉は,***の小学生の教えのようである。
日本はもっと競争社会にしないといけない。
軽々しく2位じゃだめなのか,という人がいなくなるまで,徹底的に競争しないといけない。そして,本当に実力がある人をリーダーにする社会にならないといけない。
それは別に殺伐とした社会ではない。実力にふさわしい地位が与えられる誇り高い社会であり,夢がある社会だ。
一方で,振り返れば我々にも責任はある。
基礎研究であっても,それはどういうことがわかったのか,どれだけ夢があることなのかということを国民につたえてこなかった。伝わっていないのに金を出せ,というのは,ちょっぴり不親切だ。
アメリカには多くの一般の科学・技術雑誌があり,技術や学術的課題が身近だ。知的好奇心をかきたて,最新の学問をわかりやすく・多く伝えることをしていかなくてはならないのに日本には科学ジャーナリストが不在だ。
そういう市場の開拓も,人材の育成もやってこず,すべては輸入雑誌に頼っている。
各学部で,それぞれに教育なり出版をしていくことを戦略的にやっていく必要がある。これは,長期的にみて大学に必要な戦略だ。
そういう観点でみると,当研究科の須藤先生の児童文学はすばらしい。福和先生も自分の研究成果を市民にフィードバックしている。こういうアプローチは,もっと大学がサポートすべきだ。
今後,大学は淘汰される。まちがいない。人口に対して不釣り合いに多い。また,それがどのように社会に貢献されているか,国民に理解されていない。
建築学科は存続するだろうか。
建築という産業が成熟しているなかで,本当に建築学は必要なのか,を問うのは建築学科でないといけない。
建築学という学問体系を今後,どう考えるかを検討しないといけないのではないか。
建築士は専門学校でも教えることができる。少なくとも資格はとれる。倫理は,社会倫理として大学によらずとも教育できる。原理原則は大学で教えるべきなのか。専門学校ではできないのか。JABEEは大学でやるべきものなのか。あるいはJABEEではない何かを教えられるのが大学だとするのであれば,「それ」はなんなのか。
研究教育は,今後の日本の産業振興に役に立つのか。あるいは日本のストックのためにどう貢献するのか。アジアや世界との関係の中で日本の建築産業は今後どう発展していくのかビジョンが描けているのか。
今,日本の建築という文化・社会が抱えている問題に対して大学はどうコミットしているのか。
国交省はどうかんがえているのか。ご用学者は本当に意味があるのか。あるいは御用学者じゃない学者に意味はあるのか。
学問は役に立たねばならいのか。学問の深化を標榜するのであれば,それにふさわしい研究を我々はやっているか。
全部,本当は私は答えられないといけないはずの問いだと思う。
学問的興味もつきないのだが,こういったことについて,2,3年本気で取り組んでみようと思う。
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