先週のダイヤモンドの特集は,サムソンの経営戦略に関する特集だったが,その裏で大学の研究・教育ランキングというのをやっていた。よく見るとまあ,COEと教育GPという文部科学省の大型競争的資金の獲得ランキングと,教員数,あるいは生徒数による単価計算だったので,それがどうなのかというのは,一般的な読者にはわかりにくかったろう。
特に教育について議論されているのは最近の確認で,昔は特許とか就職先とかそういうものが議論されていることが多かったように思うが,ちょっと変わってきている。
奇しくも,
「学生への「職業指導」、大学・短大に義務化へ 文科省」
というような話もあって,大学教育とは何か,というのがトピックになっているように思う。
今後の世界を考える上で重要なのは,
情報を仕入れ,加工して,判断して,自分の能力・技術・人脈・資本などを売り込んで,食べていくことなわけで,それらを分業制にするか自分自身で全部をやるかは,それぞれですが,そういう根本に必要な「原理的に考える力」を教えるのが大学なり,大学なんじゃないかと私は考えている。
多少,トピックがある事例になったとしても,建築をやったから,ずっと生涯建築の閉じた知識で生きていくことなんてありえない。境界領域や未知領域もとりこんで,どれだけニーズを掘り起こしていくかとか,産業をつくっていくか,とか,あるいは食べていけるかを一生,創造していくのが生きていくってことでしょう。
法律があるせいだと思うが,建築学科の研究室には淘汰が無い。分野が固定されている。だけど,本当のイノベーションはそれで大学にもとめられるのか,あるいは新しい学術的深化が起こりえるのか,職業専門学校とどうやってすみわけるのか,っていうのは本当に自問しなくちゃいけないんじゃないでしょうか。
なんか,社会が硬直化しているせいで,利権の中にどうやって組み込めるかとか,こうすると一生食べていけるツールみたいなものを学生さんが大学に求めていたりするのは,おかしいし,そんなものは無いんだということをわかってほしい。家庭の教育とか日本の文化の影響も大きいと思うけれども。
もう,20年,30年前の日本と同じになることなんて,2度と無いわけで,今後の未知なる領域にどうやって踏み込んでいくか,ということを学生自身が考えなくてはいけなくて,それのよりどころが理論的思考でしょう。
未踏の未来に対して,過去30年,40年うまくやってこれた人の意見を素直に聞いたって,うまくいくとは限らないじゃないか。
というわけで,大学における建築研究,建築教育とは何か,というのは結構ホットトピックです。私の中で。
0 件のコメント:
コメントを投稿