1/31/2015

1月末

昨日は,卒論発表会がありまして,無事,研究室の学生3名も発表を終えました。1年の研究成果のはずですが,人それぞれのドラマがあって,発表時にもドラマがあって,濃縮された10分でした。

教員側としては,学生の晴れの場ということで,かなり大きめのホールでの発表の場を用意しております。それを楽しめるくらい,研究生活を充実させてくれ,という意味を込めて。今年も,数名はそれにふさわしい研究発表だったように思いました。

卒論というのは,研究として世界の第一線のものになるのは難しく,さまざまなレベルがあってしかるべきと思いますが,それでも,やっぱり,本人も含めて成長したなあという成果発表になるべく教員と学生は努力すべきと思います。大学の時の頭の体操具合の重要性は,ふりかえってからじゃないとわからないのですが,なんとかして先回りでそれを教員側は学生に伝えられたらと思っています。ひょっとすると本人も悔しいのかもしれませんが,それなの?という発表を見てしまうと,微妙な気持ちになってしまいます。

普段から甘く,優しく,なあなあだと,普段はお互い気持ち良いのかもしれませんが,いざという時に結局,学生本人が損をするという結果になります。スポーツでもそうですよね。普段,努力してない人が本番で成果を出せるわけもなく,勝てないスポーツは楽しくない。勉強も,研究も,仕事も一緒です。仕事になると自己責任という言葉で,自分に厳しく出来ない人は,どんどん取り残されます。
晴れの場,ということはそういうことを反面的に教えることもあるのです。





余談
さて,とあることから1週間が過ぎました。私の生活に,するするっと溶けこんでしまい,まるで日常の一部になってしまったものがなくなってしまって1周間です。不在・欠損についての感情は,ミラン・クンデラがもっとも頑張って示そうとしたものの一つですが,久しぶりに読み返してみたら,なんだかまわりくどくって読めませんでした。日々の生活が,諸処,仕事で追い込まれていることもあって,感情の整理も簡単にすまそうという欲望に巻き込まれ,なかなか混乱が続いています。

今年度は以前にも記載したように,報告書関係が多数あって,3月中旬まで非常におっかないことになっています。ここを乗り越えたら,落ち着けるんじゃないかとも思いますが,昨年度の3月の手帳を見てみたら,全然そんなことはなくて4月に突入していました。自分では,区切りを欲していますが,区切りがないのが人の営みかもしれません。



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