工学者とはこういうものだ,という感動を受ける本に出会いました。自分の矮小さが恥ずかしく,地道に科学技術力を磨いていこう,と決意をさせる本でした。
考証-福島原子力事故-炉心溶融・水素爆発はどう起こったか-石川迪夫
3冊の事故調査報告書を読み込んできましたが,いずれも技術・工学・科学の観点からの考察が十分とは言いがたく,政府のものを筆頭にバイアスがかかりすぎていて,とても納得の行くものではありませんでした。まずなにより,事故がどのように生じたかを明らかにするスタンスが無く,結論有りきの事故調査報告書は,とても事故の反省を踏まえて今後にいかすという本来の動機に基づくものとは思えませんでした。
その点,この本は,著者が原子力関係者という意味で推進側ということを割ひいても,科学技術的に解明した事故の経緯,今後に何を考えるべきかの2点を,事実と科学的考察と歴史をもとに論証しています。大変に複雑な現象を過去の知見を総動員し,推理小説のように解明していくプロセスは本当に感服するものです。
原子力村と揶揄して専門家を遠ざけることの愚が十分にわかる一冊ではないかと思います。
「私達が育てた後輩たちにその力(事故を解明する力,丸山補足)がないとすれば,出ざるを得ません。年寄りには辛い再勉強でした。」
しびれます。本当に。
工学の前進はやはり統合にあるようです。個別技術の深化と,それが一人の個人に束ねられることの有用性が本当にこの本で理解できます。どんなものであっても,自分で学び,研究し,理解することの蓄積が,あらたな飛躍をもたらすということです。
現代的にいえば,大型プロジェクトのリーダーは,この責を担ってもらう必要があるように思います。大型プロジェクトだから,人任せ,というのでなくエッセンスは抽出して自分に内在化する必要があります。
建築の設計者も同様で,大型で複雑だからといって,工学的ポイントを外して雨漏りをさせるようなデザイナーは次世代では評価されない,ということなんじゃないかと思います。
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