12th international congress on cement chemistry (モントリオール)に参加してきた。
・近年の機器分析技術の発展により,推論されていた現象が実験的事実として確認されつつある。ただし,機器分析技術に対して,セメント,セメント水和物がそれでも複雑で,場合によっては実験データが誤判断されることがある。特に,試験機器の限界をわかっている研究者と,そうでない人の研究とでは,深みが全く異なっていて,検証データを積み重ねて蓄積しているところを見極めることが重要だと聞いた。(というのも,一緒に参加されていたセメント化学の方に教わった。)
・現状,コンクリート工学者が,その必要性からセメント化学のフィールドに乗り出すことも国内では多いが,やはり,その基礎は薄弱で見られたものではない研究も多いらしい。特に測定したらこうなった,こうなったから,おそらく多分こういうメカニズムが考えられるという形の論文が多く,本人は得意げらしいが,セメント化学からみると噴飯物の論文がまかり通っているとのこと。やはり餅は餅屋に頼むべく,セメント化学の方々との共同が必要なようだ。
・話は脱線するが,論文数で実績を評価するために,論文がインフレしている。1本あたりの価値が減っているし,査読する側の人間もお粗末になっているし,まったく哀しい状況だ。CCRであっても,間違っている論文をよく見かける。この間も腐食発生条件の論文で,破壊エネルギーの取り扱いが間違っている物があって驚いた。むしろ1本の価値を深く検討するような評価軸も取るべきである。当研究室の前任者であるT教授は,査読者を公開するシステムにすべきだ,との意見をおっしゃっていたが,まったくその通りである。査読者も執筆者と同等に扱えば,もっと真摯な対応が見られるのではないだろうか。
しかし,この議論も結局論文数主義が存在すれば救うことはできない。どこかの学部や学科で論文が出やすい体制を作ってしまえば,結局学内の政治に影響を及ぼす。土木や建築では,査読論文が年1本でれば良い方だが,化学などでは10本は軽く出るとも聞く。これで,論文1本を同列に評価されてしまえば,とても太刀打ち出来ない。
・水和のKineticsというのは,モデルと実験の両者から推論するしかないのが現状だと思う。平衡論で議論することは出来ないし,結果としての水和反応データは取得できる。そうすると仮定した物理法則の適合性を見極めるしか手法は無く,結果として東京大会での近藤連一先生のレベルを超えることは未だ難しい状況にあると言える。水和反応モデルの発表は,2編しかなく,そのうち一編は,あまりにもEngineeringな物だった。(断熱温度上昇式で評価するようなものに近い)。
一方,私の発表もEngineeringなアプリーチであったが,かなり複雑だったようだ。その場では質疑が無く,後でいくつかリアクションをいただいたが,いずれもアジアの方々だった。
・フレンチ料理をご馳走いただいた。フレンチ料理は,あまり良い印象がなかったのだが,まったく印象が変わった。オーベルジュ,ケベックフレンチ。ワインにうんちくがあると言うとちょっと,うさんくさく思っていたのだが,大した特技だと感心した。
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