12/20/2016

建築雑誌「建築学におけるグローバル化」

「今後の建築(材料)研究者についての意見」ロングバージョン

1.はじめに
今後、日本の大学の建築学科はどのようになっていくだろうか。日本の大学は、選択と淘汰を選ばず研究者の競争は抑制され茹で蛙状態に近いが、そろそろ選択と淘汰、しかもかなり厳しいものを選ばなくては国際的にも国内産業的にも必要とみなされないのではないか。そのためには長期的な方向性を設定した上で、中・短期的に選択と集中によって成果を評価しつつその結果を踏まえて動的に組織を変更できる柔軟性と意思を継続する強さが必要である。その長期的な目標として、一つは新しい建築のための開かれた研究フォーラムとしての建築学科、またもう一つはそれを水平展開する国内産業に根ざした建築学科が考えられる。今後の建築産業は国内市場の縮小と産業の海外市場への進出を考え、おそらく5%程度の大学が国際研究フォーラム型で研究と海外進出用の人材育成を、残りが国内人材育成のための国内産業型をとることになろう。私の意見はこの5%の国際研究フォーラム型の組織とそこで必要とされる研究者についての見解である。

2.概観
住宅建築はそこにある土地、地域、文化とともに発展してきた。材料はその地域にあるもので構造・環境・意匠を支えるものが利用され、構造はそこで課題となる自然災害、環境は一年を通じた気候の変化に対応することを目標とした。神社仏閣、城郭などは信ずるものへの厳かな気持ちや主の野心を渡来された技術により反映することもあって、新しい技術は先進的建築物でまずは試された。住宅建築は経済性を根拠に土地的な結びつきが強いものの、長期的には先進的建築を中心に国際的な技術動向の影響を受け、取捨選択後に緩やかに住宅建築技術に反映されてきた。すなわち、従前より一部の国際的なフォーラムと一般建築のための技術伝達を別のものとして機能させることは行われてきた。
戦後の、特に高度経済成長期以降の建築研究トレンドを外観するには、建築研究所から公開されている建築研究報告がよいかもしれない(http://www.kenken.go.jp/japanese/contents/publications/report.html、2016年9月25日確認)。ここで示されている研究課題は実に先進的で今日的である。性能設計手法、さまざまな外力に対する構造・材料開発、鉄筋コンクリート造建築物の超軽量・超高層化技術、アルカリシリカ反応を含む耐久性研究、いずれも数十年先を見据えた取り組みで、いずれもが今日の礎となっている。当時の研究者の国際性、先進性、創造性の素晴らしさがよく分かる。残念ながら2000年以降、さまざまな理由があるのだろうが、総合技術開発プロジェクトの数・密度は低下傾向にある。よく言われることだが、研究タイトルだけ確認すると、40年前の建築学会大会のなのか、2016年の大会なのかはほとんどわからない。現在の研究は過去のテーマで飽和し、新機軸があるとは言い難い。
この間の各研究テーマは、多分に国際的な動向を踏まえたビジョンの明確な研究が多い。ビジョンが具体的であり、それが日本に即したものであるほど国際的な名声を博している傾向がある。また、研究が国際的に評価されているものは、研究自体を国際的な場で発表されていたことに留意する必要があろう。当時の状況を察するに、極一部の研究者に情報・研究の集約が行われ、国立研究所(国研)の研究者が国際的な場でのプレゼンス向上に大きく貢献していた。現在の欧米の国研の多くも、国のプロジェクトを国研のチームが先導し、そこに大学の研究者が実質的な研究プレーヤーとして参画する。国研の研究者が国際的な情報収集・交換を行い全体のビジョン策定を行うとともに、プレゼンス向上のための発表を行っており、自由度の大きい国研の研究者の重要性は非常に高い。残念ながら日本の今の建築研究業界における状況とは大きく異なる状況となっている。

3.今後について
建築の多様化・国際化が著しくなっている今日において、建築技術が求められている分野は多い。宇宙構造物、洋上・海底構造物、大深度地下空間構造物、エネルギープラント構造物などがそれである。これらはテラフォーミング、資源・エネルギー開発、国土防衛などと密接に関わっており、いずれも将来の世界と日本において重要技術であるが、建築の技術者がイニシアチブを持つ場面は少ない。海外であれば、デザイナーだけでなく技術者自体もさまざまな将来ビジョンを競い合っている状況においていかにも寂しい状況である。また、材料開発においても、CO2低減の観点から、マグネシウムカーボネートハイドレイト、カルシウムサルフォアルミネート、カルサインドクレイなどを用いたセメントが開発され実用化寸前になっており、これらの中国、中東、アジアへの展開が進んでいるなか日本の研究者はほとんど関与していない。
ISOなどの標準化は、いかにも公平な形をとってはいるものの、実質上、デファクトスタンダードを公的に保護する新しい経済戦争の場となっている。このことを理解した対応が日本から取られているとは思われない。本来であれば、大学研究者、政府、材料開発を担う企業が一体となって販路を拡大できるように取り組むべきであるが、そういったビジョン、商材、ビジネスマインドがやや乏しいように見受けられる。材料開発研究は、大学研究者の場合、健全なビジネスマインドを伴って製品化、市場化、標準化、と段階を踏み産業に発展していくが、こうした適切な野心を工学研究の基本的動機として建築の場で学ぶことも日本では少なくなっている。模範的人物・事例が少ないからであろう。日本では研究と市場が乖離する傾向や規制のための実験が増える傾向がある一方、純基礎科学的研究も行われることが少ないため、工学的研究の名のもとに非常に偏った科学的見解が社会に展開される事例も散見されるようになってきた。科学的知見による前進さえも少ないのが現状である。この傾向は建築基準法の体系とも深くかかわっており、新素材開発コストが市場化の手前で大きいのが建材の特徴であり、その次においても、普及価格に持っていく道も険しい。
こうした状況を変化させるためには、規制緩和と責任の明確化、責任によって生ずるフィーの増大といった建築に関わる自由化が不可欠と思われるが、残念ながら日本社会が望まないのか、責任の所在はあいまいのままな体系が好まれる傾向にあるようだ。

大学の研究者や学生がどのような将来像を見ているのか、あるいは見るべきかは実に重要な課題となっている。学生諸君は現状に疑問を持ち、その因果関係を読み解き、そこにビジネスチャンスを見ることができるだろうか。
現在の建築学における課題の多くは、従来の建築産業内部に留まって解決できる課題ではなくなっている。都市規模の計画・開発では海外では商社が活躍し、建築設計のデジタル化ではGoogle社(正確にはスピンアウトしたFlux社)が人工知能やビッグデータを用い、法的問題も含めた住宅設計を実用化しつつある。材料開発はマテリアルサイエンス分野の研究であり、新しい建築の鍵は、今や常に建築の外にある。そのため、建築分野外との技術者・研究者と知見交換や協業がこれまで以上に必要とされており、そのためには基礎教養、すなわちリベラルアーツが必要不可欠となっている。数学・物理・科学・歴史・文化への深い洞察はどのレベルの建築研究にも必要である。また、研究者間において一定以上の技術上の知見交換には相互にWin-Winの関係を求められる。一段と深い「尖った」知識と実験データが必要不可欠であり、こうした「尖った」成果への執着や評価が建築界隈で重要視する必要がある。
新しい建築ビジョン策定や問題解決の観点から、国際的な人脈・研究ネットワークは重要である。特に先進的情報を分野を超えてタイムリーに確保できるネットワークを有するかどうかで研究成果やその評価は大きく変わる。世界の最先端研究は、選択と淘汰を受け極めて限られたものになりつつあるので、そうした研究拠点といかにネットワークを構築するかが重要である。欧米では大学間で優秀なポスドクやPh.D studentを交換したり、共同で教育・研究したりすることでネットワークを深めることも行われている。交換留学制度、JSPSの各種の留学制度や人材交流制度は、多面的・戦略的に運用すべきものであり、従来、属人的でああったこうしたネットワークも、国内研究者間で共有していくことが望ましい。日本でも、人の活用を真剣に考える必要がある。博士過程というのは、社会にとっても大学にとっても、知識を学生(=研究者)と生産する場であって、学生が授業料を払って学ぶ時代はとうの昔に終わっている。しかし、その認識さえ、博士学生を増やせという文部科学省は変えることができずにいる。

将来生き残る組織は、選択と集中、その裏で切り捨てを行う必要が出てくる。その根幹は、建築学が必要とされる社会、その時に必要となる技術と知識、組織が受けたい社会からの評価、輩出したい人材像、から導き出される将来像とそれを実現するための手段、とくに柔軟な人事と評価システム、である。そのためには、その組織の理念と哲学が必要である。オリジナリティを追求し、各大学がリトル東大ではない何かになることで、日本国の中における建築学の冗長性や柔軟性が獲得できる。差別化を恐れ、平等という名の均一化を保つことでは撤退戦を凌ぐことは残念ながら難しい。教育には連続性が、研究には飛躍が必要だが、我々は教育と研究を変える勇気が試されている。

最後に余計なお世話を。日本の建築若手研究者は、タイムリーに日本の研究を国研の研究者に伝達すること、国際Journal論文として引用可能な形に残しておくこと、そして国際的な委員会の場などで貸し借りを作っていくことがまずは大事である。国の税金で研究をしている以上、知識を日本国に反映することはもとより、国際的な社会でも貢献することが望まれている。それは、国際的な場での議論によりレバレッジを利かせて研究効率をあげることができるからである。既往の研究論文を読まず、40年前と同じテーマを同じ方法で取り組むために税金があるのではないし、素材を変えただけで新しいテーマだと臆面も無く言うことは成熟した国の研究者のやることではないことは知っておいてほしい。つねに前進とはなにかを自問してほしいし、その答えは論文の形であってほしい。そして少し成長したら、国のプロジェクトなどで国際共同研究を行うことや、分野を超えた研究者を率いた研究テーマに率先して提案してほしい。これらのポジションに立つ研究者になること自体が、一朝一夕にできるようなものではないが、まずは、一人の尖った研究者として認められることを目指したらどうだろうか。



0 件のコメント:

コメントを投稿