8/26/2016

AIJ雑感

今年、2回目の博多です。AIJ大会があり、博多で3日間を過ごしました。大会中は、学会会場と研究打ち合わせ半々くらいで参加でした。会場では、材料部門と構造部門で好きなところに参加しました。

材料部門の発表を見ていると、新しいことはほとんどないものの、ものすごい量の実験データが示されており、これが業界の知見共有にやくだっているんだろうな、と思います。残念なのは、最先端知見のReviewはほとんどされてなく、自分のやっていることの研究の位置づけが明快でなく、夏休み自由研究的なものが多い点です。大学研究でもそうなので、ましてや企業の研究をや。

(企業の研究は、規制基準類に立脚しているデータどりなので、研究というよりは、根拠データ取得というものですね。)

こういうのを見ていると、建築産業は亡くならなくても、建築研究とか建築学はなくなっちゃうんだろうな、と思います。かりそめにも大学という名を冠していて、自分の研究の位置づけが不明、というのは大変残念です。また、そこにそれなりの国家予算と労働が使われているところが物悲しい。
研究といいはる以上、最先端知見をReviewし、位置づけを明快にし、オリジナリティを示す。それができていないのは、学問となっていないので深化の方向とビジョンが明快になっていない、知見交換が国際化されていないからだろうと思います。
だから、あいも変わらず、傲慢な先生を筆頭に宗教がスタートします。

もちろん頑張っている人もいるとおもうんだけど、これでは建築学、建築材料学はそのまま衰退しちゃうんじゃないか、というのを強く印象付けられました。科学的知見に立脚した議論ができず、傲慢な過去の知見を振りかざすお年寄りが偉そうにしている大会に未来はないでしょう。
今年は、ひときわ見ていて辛かったです。

学問であるならば、知見の解明や新現象の発見が主体となり、それを目的とするならコラボレーションはすみやかに進むはずです。でもそうならない。それは、国際化していなく、傲慢な研究者がいいぱなしで持論を曲げず、科学的議論ができないから。そういう業界は真剣な若い研究者に対して魅力がなくなるでしょう。人がいなくなって当然です。

ワクワクする建築とは、程遠い。
今、教授の先生方自体があの場にいて疑問に主なわないのは大変残念だと思います。


8/16/2016

成果を急ぐということ

国のプロジェクトを受託するとリーダーが急激に人格がかわる、ということは良くあります。それは多額の研究をもらうことで責任がひときわ大きくなることと、出資側の役人が(財務省や国民に対してわかりやすい)成果を早めに求めるからです。
地道にやってきて、成果がつもり、人に認められるようになって大型プロジェクトリーダーに収まるというのは大学研究者として我が国では成功コースのように考えられますが、本当にそうなのかは実に考えものです。
特に日本の工学分野、あるいは建築・土木分野のやってきたことというのは、他分野で開発された材料や工法を転用して、JIS化したり、大臣認定、施工実験を行って実務に反映させるということが研究部門のやることだったので、そもそも画期的な開発行為というのは、施工、構造、コンクリート等の一部の分野に限定される傾向があります。構造部門は新材料が無いとたらしい構法は出てこないし、耐震ということはほとんどやり尽くした感があります。施工はまだ、合理化の余地がありそうです。材料開発は、結局、多くが他分野からのお下がりです。

材料科学に目を転じると、現代の新材開発には多くの基礎研究が基盤となっています。高分子の設計には、分子動力学があたりまえに使われるし、第一原理計算も当然のように利用されます。材料の分析技術も同様で、原子一つの挙動まで理解されて議論されていることが良くあります。実はセメント分野も2000年台初頭からEUでなNanocemプロジェクトがあり、多くのことがあきらかになりつつあります。特に英国や北欧を中心に熱力学平衡計算、NMRによる構造解析などが進んでいた土壌があり、そこに合目的的に成果を出すNanocemプロジェクトが民間資本をベースとしてすすんだこどで、材料設計手法、性能評価/予測手法が構築され、多くに利用されていますが、残念ながら日本ではほとんどキャッチアップできていません。

すくなくとも、欧州のメーカーと同程度の開発能力を持つ部門をつくるのに7年必要だと私は考えます。その上で現状の課題で成果を出すのに2年。予算はおそらく10億くらいで少数精鋭でやればそれなりになるでしょう。でも、大事なのはそれが普及し、普遍化し、そこかしこでそういうった科学的事実にもとづき議論できることが業界の標準になることですが、これには20年はかかるでしょう。国際化じゃなくて、完全に戦後2回目の追いつき政策ですが、それもやむなしと思います。

こうした事実関係を無視して、すぐに成果を、といいだすリーダーは危険です。現場の兵隊と作戦本部には議論が必要で、現場の課題を把握してもらう必要があるのは第2次世界大戦から変わっていません。官僚化する教員、あるいは現役で自分で論文を書けない教員が増えるので、こうなるのでしょうが、それを止めるのが地方大学教員だと認識しています。

がんばってまいりましょう。

8/11/2016

工学といういいわけ。

工学だから、ということを言い訳に、ものの成り立ちを理解しようとしない、原理原則から目を背ける、今まである解釈に固執して他を排除するっていうのは正しくないんじゃないでしょうか。 50年後によりよいものをつくる、次の世代に正しいものづくりを伝える、ものの成り立ちとその原理を明らかにしておくということは遠回りのようでいて、もっと素晴らしい建築とか社会基盤を作る上で大事なことなんじゃないでしょうか。 工学である以上、わからないことを考えてものを作る前進が前提なのはわかります。でも、だからといって、ものを理解しようとしないっていうのはやっぱり間違っているように思います。両者があって社会の両輪なんじゃないでしょうか。
最近、セメント新聞で二人のゼネコンの人がセメント化学は意味が無いと言い切りましたが、そもそも建設に携わる人間として、将来に伝えるための責任が欠如しているんじゃないでしょうか。これは別にお二方、っていうよりも、もう業界自体がそう考えているっていうこと事態の問題です。まるでそれが当然ともいう言い切りに釈然としていませんでしたが、昨日、金子先生と議論して日本にかけているもの、今の日本の問題そのものだったんだと思います。
そうじゃないという意見もあるかもしれないですけど、実用偏重、すぐでる結果偏重、その場をやり過ごすっていうのが多いような気がします。わからないものをわからないということも重要だし、それを受け入れる社会も大事、そしてそれを理解するよう社会として取り組んでより良くしていくことも大事。

私は100年後に繋がる研究がしたいです。自分の子供の世代のために。

8/10/2016

信州大学

8月10日は、信州大学の金子克美先生を訪ねて長野に来ました。金子先生はググってもらえばわかりますが、日本を代表する吸着、カーボン、ナノ材料の研究者です。セメント系材料での問題点などを知ってもらいたいとおもって張り切ってやってまいりましたけど、その圧倒的な研究力と成果に、圧倒されました。

今回は、研究をレビューしてもらい、少しの前進ときっかけを与えてもらいました。金子先生が、Pellenq先生とインペリアル・カレッジでかぶっていたとか、彼の研究の大本は何かとかをご存知で、今の英国とMITの論争がこうかんがえたらひもとけるんじゃないかな、っていうものも少し得ることができました。

一番大事なのはこの期に及んでこれで良いんだろうかっていう疑問を与えてもらったことです。焦ってもだめだけど、もっと先を考えないと駄目だなっていう。

・足元も大事だけど、顔を上げて先を見る研究を。
・基礎から応用にいっきにける研究材料を見つける。
・情報が集まるようにデータを出し、議論する。多くの人に研究をみてもらう。

世界の巨人に会えて、また一つ気づきを得ました。

オープンキャンパスとか

8月8日はオープンキャンパス、9日はテクノサイエンスセミナーといことで、8日は構造系の紹介担当、9日は全体取りまとめ役ということで、いろいろ参加させてもらいました。例年はもうすこし、フレッシュな感じで感想をもってたんだけど、今年はあまり感じることがなかったなあ。
高校生でカッターの使い方もおぼつかない子がいてびっくりしたとか、物理が好きですってこが二人もいて、今の物理ってどうなっているんだろう、とか、そんな感じでした。

本当は9日に打ち上げする予定が、8日でもうつかれきって、つい空きっ腹にワインを入れてしまい本当にもうどうしょうもないくらい酔っ払ってしまった。毎回形だけの反省をするんだけど、全然反省になってない。40になって限界を感じております。

8/07/2016

8月

8月って通常は院試だけがんばれば,わりと頭の整理ができる時間だったのに,最近はいろんな入試が増えていたり,オープンキャンパスとか,スーパーサイエンスハイスクールだったりとか,テクノサイエンスセミナだったりとか,名前と内容がよくわからないイベントがもりだくさんです。役割分担数が数として平等なので小さいFacultyからどんどん疲弊していっています。そして,役割がまわってくる若手が見るも無惨に研究ができていなくて,これまた,将来本当に大丈夫なんだろうか,っていう事例が多く見られる。

毎年,大学に文部科学省から払われる基盤的経費(運営費交付金という)についても,確実に2%とか3%減額されている(そもそもそういう約束だった。根拠は人口動態に対応しているんだと思う。)のだが,一方で,いろいろやってほしいことがたくさんあるらしくて,押しつけのイベントがすっごく多い。別に断れば良いんだと思うんだけど,教員と事務と執行部で考えていることはそれぞれちがっているので,かならずしも断れるものでもないみたい。

大学として,この衰退期に必要な方向性とか,縮退/発展のあり方とか,ルールの簡素化,個人個人の能力の引き出し方を議論して,文部科学省にはこういう方向でやります,っていいきれればそれはそれでよいんだし,能力を活かして好きなことをやりつつ成果を出すような形を描いていければよいんだけど,鶏と卵のどっちかっていうのは別として,一回受け入れてそれに対応しようとすると,その後の時間を捻出できなくて,ずっと後出しで負け続けるという負の連鎖がとまらない大学が多数あります。名大も一部はそういうところあるかな。

最近の事例でいくと,人事凍結っていうことで,建築系・土木系で人事が大学として留められている場所がかなり増えている。東海圏で有名な大学も,新潟の雄も,国公立大学で経理の運営をミスると本当にすごいことがおきるというのが実例として起きてしまっている。
そういう意味では,うまくいっている大学は定員を開けて運用することを行って,運営費交付金の減額と人員のバランスをとる計画を立てて運用しており,その点では名大は事務がしっかりしていてうまくいっているように見受けられる。

一応,日本の叡智を結集しているはずの小さな社会である大学でこのありさまなので,ダイバーシティが非常に大きいところで,日本はどうするかっていうのは本当に難しい問題なんだな,と思う。

もちろん,この混乱には世代間の危機意識の差が大きい。いままでの歴史の成功例をかたくなに守ろうという(そしてそれは当然今後には役立たない。)成功体験を抱えて大学を去ろうとしている年代とその下の危機意識の共有状況は大きく異なる。
もっとも雑用に追われている中堅どころ,というのは池井戸潤の言う,ロスジェネに相当していて,まだ,多くは教授職じゃないだろう。まわりではその世代の教授昇任がかなり増えているけれども。で,教授職でない場合には人事権も無い状態が一般的で,組織を変える根幹である人事権が無い状態で意見だけをいっても,その組織は空回りになってしまうだけなわけで。
権利と責任が一体になってこそ,そこに人材がいれば,社会が回転し始めるというわけですが,権利は確保して,責任は君ねとか,やることやっておいてね,というのがそこかしこで,(先の公益社団法人における委員会でも)みられるわけで,これはちょっとしんどいよなあと思われます。

一番つらいのは,当事者は全然そういう問題意識をもっていなくて,自分たちもそうだったからそうしているっていうだけで,人としては寧ろ良識的な人も,そういう問題点を無意識につくってしまっている,というところだろう。
もう,5年くらいすると主役が大分がらっとかわるんで,そのときにしがらみを切ろうかなっておもう,我々のまわりの世代がどの程度のこっているかっていうところが面白いんじゃ無いかと思います。


まあ,それで,日帰りで名古屋にもどってこざるをえなくて,一日中,高校生向けイベントのスケジュールを1から点検っていう,なんとももの悲しい日曜日を送っているわけです。でも,まあ,私の場合,まだ恵まれている方です。他の大学の方々と比較すると。
池井戸潤っていうのも世代間の違いとか,怒りとか,よくわってんなあ,と。スターウォーズのエピソードIIIもその辺と絡んでいて共感できる。


こんな晴れた日に昼から,屋外で飲めたら楽しいだろうになぁ・・・。


東京往復

本日は、車で東京に行きました。新東名が延伸して、ほとんどを新東名で走りましたが、これはすごい。所要時間が1時間ほど短縮してます。経路も短くなっているし、車線幅員も大きいのでストレスが少ない。
自分の車、とくに車体の剛性とタイヤの調子がいまいちなので、うるさくなってしまってストレスが大きいけど、運転に関するストレスは格段に減ってる。
東名に入った時のがっかり具合がすごい。こんな狭い道ではしらせるなんて。。。という気分になる。

住宅もそうなんですが、もう少しゆとりあるように作ると、維持管理もし易いし、したくもなるし、資産価値もキープできるんですよね。
今ある状況にピッタリなものをつくっちゃうと、後が大変ってことです。先も含めてゆとりあるものをつくっておくと、ちょっとのコストで結構、大きな利幅になる。
みんなわかっているのに、銀行とか、財務省とか、わかってくれなくて世の中が少しずつゆがんでしまう。

小さなボタンの掛け違いで、すっごく世の中全体が損している部分が結構あって、もったいないなと思う。

で,最終で名古屋に私だけ帰ってくるのはものすごく寂しいです。

8/04/2016

お題:セメント化学的研究


気にするに決まってるじゃないですか。なんですかそれは・・・・。


ども。夏休みに入りました。世の中は。成績づけと雑用と雑用と雑用をやると、おそらく9月になります。あ、建築学会@博多を忘れてました。そんな感じです。

さて、光栄なことに某所から、土木建築業界に必要なセメント化学/材料科学的な研究をいかにもりあげるか、というお題をいただきました。普段からも考えているところでもあるんですが、なかなか一般の建築土木業界じゃ見向きもされないかな、というのが率直な感想です。

私は別に日本のセメント化学というローカル学問分野を保持することを目的に研究しているわけでもなく、必要だから、ということと自分で理解して納得したいからそういった系統の研究をしています。そもそも、今の私の研究の多くは、ある問題について私を頼ってくれたからそれに答えようとやっているというものばっかりで、自分のやりたい研究をやっているわけではありません。だから、これといって深い思想があるわけでもない。(原理はありますよ。研究原理。)

原子力業界は軍事業界と同じくリミットがありません。安全のために最善を尽くすべきであり、理解していないものについては大幅なマージンをのせなくてはなりません。だから、理解する、説明する、説得力があがる、そういったことにそれなりの予算がつきます。
私はそもそも原理原則にのっとってものを理解したいので、昔からちょっとは(研究については)細かい性格でしたけど、それが大事にされたのはこの業界に触れてからです。今の私のやっていることを普通の建築の人がみたら、なんでそんなことを、と思うに決まっています。だって、すでに法律があって、指針があって、建築が建ってて、時々地震でこわれるけど多くは問題なく建築はできているわけです。なにをいまさらやるんですかって言われても、ほうそうですか、としか答えられません。

工学っていうのは理解していないものでも、つくって人間の役に立てる学問です。線を引いて、安全率をとって、実用化していく。そこに責任が生じ、人による個性がでて、そしてお金が動く。
ルールが一般化・陳腐化して普遍化すると、利益率はヘリ、コモディティ化していく。普通の商品と同じです。そして、建築はほぼその領域になりつつある。
ただ、理解されていないことは多い。コンクリートなんて穴がいっぱいで水もいっぱい入っていて、それで強度がどうして出るのかよくわかっていない。でも、100年の歴史があって、設計ができる。学問的にはやることはあるけど、実業界からはなにも要求されない。社会が大学の先生を要求するのはJISをくぐるために同意をとったり、大量のデータをとって線を引くときだけ。そんな業界なわけです。
そんなところにセメント化学なんてこれっぽっちも必要とされていません。

業界は、材料会社はセメントが売れたらOK、施工会社は瑕疵保証期間を切り抜けたらOK、設計者・監理者は文句がいわれないように作れたらOK,それでお金が動き、消費されていく。
これはね、なにもないですよ。

たとえば、ここにそういったニーズを掘り起こすなら業界の責任体系とお金の発生する場所を変化させるしかない。あるいは顧客に対する信頼というものをなんらか制度化していくしかない。
土木で考えれば、100年もったかどうかをかならずチェックしてそれが会社の成績になっていくようなしくみを制度化すれば、みな、施工ばっかりじゃなくて、耐久性もちゃんと考えるでしょう。
でも、そのためにグローバル経済における私企業の位置づけ,はなかなかに大変。すぐに会社はつぶれちゃう。合法的に。そして責任も解消される。

以前に姉歯事件のときにも、談合の問題を記載したときにも書きましたが、建築・土木っていうのは使うお金が大きすぎる。だから、一回の利益で会社をつぶしてしまっても、なんとかなる場合がある。大きなお金と責任を社会制度としてどう実装するかはまだ資本主義として解決できていない問題。大銀行を潰せないのと同じ。大きなお金を借りるでも持っているでも、なんらか責任を関与するともはやその人は殺せなくなる。理由は、影響がおおきくなりすぎるから。人に迷惑をかけるから、政府が介入してしまう。銀行のこの問題と同じ構造を建築・土木ももっている。この問題が解決できないかぎりは、責任とそれに伴うお金の議論ができない。

同じく,お金の動きとものの寿命が違い過ぎる。耐用年数100年の成果物の評価を対価にどうしても反映できない。もう,減価償却100年といいきれるなら,なんとかなるんだろうか。でも,住宅も30年でもそうなってないしな・・・。

価格が大きいこと,寿命および評価期間が長いこと,この二つと今の経済ルール,利益算出ルールがマッチしていない。


たとえば、土木インフラの社会性信頼の向上を目的としてゼネコンが材料メーカー(セメント会社)を買収する。設計と材料開発、維持管理を一気通貫で行い、ライフサイクルコストとCO2を格段に落として社会的信頼を構築することで、市場に優位に働こうという考えは、原理的にはありえなくはない。
特に過当競争の今ならそういう市場再編とともに政治家を動かせば、ある種、面白いことができる可能性は高い。だけど、この付加価値を正当に評価できるほど社会が成熟してない、と思う。そもそも財務省がついていかないし、一般消費者も理解できない。残念ながら。
なので、セメント化学は今の市場原理を前提とすると根付かない。

というのが今日までの整理。この次の一手について、AIJ大会くらいまでに1,2回は考える時間があるだろう。頭の体操。









8/01/2016

中間報告

今日は、規制庁の受託研究の中間報告でした。

朝5時半起きはしんどいのですが、土日のどっちかはフルタイムで業務を行わないと全体がまわらなくなってしまっています。本当に1秒1秒が惜しい。かといってマシンのようにキッチリ動けるわけでもなく。
昔、大学の偉い先生がおっしゃっていた、最後はお金じゃなくて時間だよっていうのが身にしみます。お金は時間で買うっていう。残念ながら未熟ゆえにフンダンにあるわけでないので、時として自分の時間を身を削って差し出すことになるわけですが、これがまた物哀しい・・・。自分に対するマネジメント不足ですね。
学生とも時間に対する価値観がひろがりつつあって、戸惑うことも少なくありません。

いや、話が横にずれた。

最近の研究動向(あいまいにしかかけませんが、)
・ガンマ線照射における物性変化のメカニズムがペーストの照射後詳細分析でわかりつつあります。特定の条件だけ、特定の変化が起こるという特異なものですが重要な知見だと思われます。この成果は規制案に反映される予定です。
・中性子照射における物性変化も大分わかってきました。そして、理論的にそりゃそうだよな、ってことがやっぱり起きていて、まだまだ検討の余地があるな、という状況。

もう、あと4年くらいやれば相当にわかると思うんだけどな。なんとか後継プロジェクトを育てたいです。みなさんのご協力をいただけたら、と思います。