12/31/2014

今年を振り返って

大晦日になってしまいました。部屋の大掃除もしていないのに・・・。
家族はすでに実家にいるのですが,さすがに年越しに顔をみせないわけにはいかず,今は新幹線で移動中です。
この時間を利用して今年を振り返ってみたいと思います。

今年の丸山研の状況について
・日本人の博士がいなくなり,研究の厚みは少し薄くなりました。分かっていたことなので,なるべく私が学生にレクをするということで,積極的にゼミを運営したつもりでしたが,10月以降は出張が多くなってしまい,やや手薄の感が出ました。学生の成長具合を見ますと,結局のところ学生それぞれのポテンシャルにしたがって成長しています。実験系で力を発揮する学生,数値解析で力を発揮する学生,両方やれる学生,人それぞれですが,少なくと研究室に所属した時を考えれば,だんだんと楽しめるようになっているのではないかと思います。今年のはじめに決めた方針で,なるべく自分が学生に具体的なやり方を示す,という指導は達成度70%くらいだと感じています。ただ,なんでも教えるのがよいのか,というのはずっと疑問でもあったので,そのバランスを試行錯誤した結果と捉えています。


12/30/2014

としのせ

11月上旬から一気に年の瀬になってしまいました。いろいろ考えていることをまとめようと思っておりましたが,今年の東京出張の数は多く,あっという間にこの時期になってしまったというのが実状です。

キーワードだけでも上げておこうと思います。備忘録。

1.大学授業の英語化について
・大前研一氏の本以降,いくつかの大学の戦略と国の政策に関わるまとめのような本を読みました。小国の場合,大学教育後の人材の活躍の場が,必ずしも国内市場だけで十分ではないことから,活躍できる市場を見据えた形の大学という観点では,英語で勉強しておくということは,当然の行為ではないかと思われます。
その観点で,工学部や工学研究科が前に進むための工学,の実施者であるべきということを考えれば,実施者が活躍できる場は広ければ広いほど,その活躍の可能性は広がります。
今後,日本の市場がしばらくは縮小傾向にあることを考えれば,また,建築という業種が縮小傾向にあることを考えれば,市場をもとにもとめなくてはいけません。これは,人材とともに企業も同様です。

・アカデミアでは,自国語で学べることが大事,という気概があります。これは本当に大事なことで,最先端レベルで母国語の情報が手に入れられるということほどすばらしいことはありません。明治時代以降の先人の賜物でもあります。しかし,それにとらわれることが本当によいのかどうか,というのをもう一度問う必要があるのではないかと思います。というのもアカデミアの方の進歩を推し進めるという観点からも,人材交流・知見交流は大事であるけれども,すでに標準語は英語となってしまったいま,母国語で議論をすることの価値は相対的に落ちているからです。

・そう考えると,全体として英語化を進めるということは当然の議論ではないかと思うに至りました。

・日本の大学の講義は少なくとも私の身の回りの環境では,義務教育の様にボトムあるいはミドルの学力を有する学生をベースに授業を進める場合が実際のところ多いです。これは,不合格を出しにくい無言の圧力,あるいは不合格が多いことはレクチャーが適切で無いとみなされる風潮から,落第を数名にするということが,教員にとって最適戦略になるからで,学生と教員を高め合う環
境にありません。その結果,優秀な学生の学習速度を落とし,貴重な人材育成に失敗しています。
それ故,諸外国から来た人にいわれることですが,大学の学部教育は終わっている,という事態になっています。
例外は,東大の授業ではないかと思います。私の受けた授業は,学生が本気でついていかないと振り落とされるような授業が多かったように記憶しています。
一方,大学院教育は素晴らしいと言われています。いわゆるゼミ形式で,基礎から高等研究までもっていくある種の信頼関係に基づく少数教育から排出される学生は,特に,素晴らしい教員との出会いによって,素晴らしく成長します。ただ,残念ながら,教員の平均は,落ちているのではないかと思われます。というのは,文部科学省の研究振興とも関連するのですが,どの分野も競争が激しいというわけではないことで,競争が激しくない分野や競争をよしとしない文化がいくつかの分野で見られ,その結果として適切でない人が教員になる場合もあるからです。

・つまり,日本の大学で学生が育つかどうかは,運になります。自分の子供を育てる場合を想定すると得心が行きますがいまの大学教育のままでよいかというと,改善して欲しいことは多数あり,そのうちの筆頭は英語化でしょう。自分の子供が活躍する場を広げたい,といって反対する人はいないのではないでしょうか。また,大学の選択は自由です。もし,日本語で学んでほしいというのであれば,そういう大学に行けばよいだけです。私の提案は,名古屋大学として,英語で学べる環境があるというオプションを広げる一翼になるべきではないか,というものです。


2.移民の問題
・多くの日本人は,あるいはマスコミで議論されている移民は,マックジョブ担当ということになっているようです。移民を受け入れて,犯罪が多くなるというのは,結局,自分たちのやりたくないことを移民にやらせてやろう,というひどく歪んだ価値観から出ているのではないかと思います。しかし,近年の各国の移民政策では,条件をつけるところが多く,いわゆる,高級技術者(弁護士,会計士,教員,経営者,その他)を受け入れる方向性もありえるわけです。
・英語化の議論と一緒になりますが,そういった高級技術者を受け入れて,その人達と切磋琢磨する環境というのは非常に好ましいように思います。大きな問題点は,島国の中の巨大市場に慣れてしまっている人たちが,日本語環境を既得権益としてその市場の囲い込みをしたがり,彼らを排他的に扱ってきた文化にあります。おそらく,今もって多くの日本人は,そういう競争をいやがり,安直にその利権を守ろうとするのでしょうが,そうした企業なり,団体なりは早晩競争力がなくなるものと思われます。
・移民の問題も英語の問題も結局,表裏一体であり,国内市場を開放して高級職も含めて世界と一緒に競争していこう,という一種の規制緩和です。(この場合は暗黙の参入障害排除でしょうか。)

・いわれなきバイアスや過去の経緯を引きずった貸し借りの(明文化されていない)テキストの中で大学改革をやらされるとか,文部科学省の意図のわからない文章作成とか,そうしたものにつきあう大学の経営状態はかなり末期的症状だと考えています。大学の方針を自ら立案し,必要なものを文部科学省提案から取捨選択するなり,文部科学省に提案するなりの積極的な取り組みというのができていない今,組織を活性化するために経営能力のある人達が執行部になることが重要で,そのためなら,海外の適切な経営者に来てもらって運営してもらったほうがよっぽど楽になるのではないかと考えています。既存のテクストを捨て去る勇気を日本人が持てないなら,その部分はお願いしたら良いんじゃないでしょうか。

・いずれにせよ早晩,競争をして個人のちからを上げていく,そのためには個人のちからを尊重するような人材評価,職業の枠組みも必要になってくるでしょうか,力ある人は日本の既存の評価制度を好まない場合もあっても,外に活路を見いだせるという選択肢を持つわけで,選択肢を広げるということはやはり大事であろうと思います。


3.研究について
・多孔材料の収縮メカニズム, Vycorのデータが蓄積されました。セメントペーストとやはりメカニズムは違うように思います。既往の収縮理論との整合性を考えていますが,高湿度域の挙動がやはり不明です。気-固界面に囲まれた水のポテンシャルというのは,微小空隙であっても,バルクの水に近くなるのか,というのが疑問点です。

・併せて,収縮低減剤の役割を極めて明解に説明できるデータが蓄積できました。来年度前半中には投稿したいと思います。

・1H-NMRの装置を導入しました。現状,環境ノイズに悩まされています。バックグラウンドがこんなに高いのはなぜか,というのがわかりません。

・RBSM,FEM,いずれもかなり丸山研のモデルが3次元の形に実装されました。現状,乾燥による物性変化,微細ひび割れ,収縮ひび割れと構造性能の関係,放射線によるコンクリートの劣化が構造挙動に及ぼす影響,などをテーマとして学生さんが取り組んでいます。
材料構成則上の問題もいろいろわかってきたので,いずれ,進展があって外に公開できるのではと思います。

・骨材の遷移帯の考慮が収縮予測にきわめて重要であるということをJACTの論文で公開しました。
また,既往の五十嵐先生との実験結果で,異なる水和状態のセメントペーストの物性に関する一連のデータについても,JACTで論文公開しました。

・現在投稿中の論文は以下のものです。
-割裂引張強度が乾燥によってどのように変化するか (JACT)
-C-S-Hの乾燥時に生ずる変質について(CCR)
-骨材の収縮(BCM)

・現在,水和モデルについて過去にジャーナルに投稿していなかったので,その集大成になりそうな論文を現在執筆中です。