4/18/2012

最近の研究

画像相関法をつかって,梁の載荷に関する予備実験をしてみました。
長崎大学の松田先生がやられた研究の追試,というかトレースです。
おもったより,全体の挙動が画像解析からわかります。
図は,最大主ひずみのコンター図です。赤いところがひび割れ。
4点載荷で,グリッドについて,左上の左から2個目の上に載荷点があります。
右下,右から1つめ下に支点があります。
なかなか,面白いツールです。
載荷は,M1の杉江さんチーム,解析は研究室に最近配属されたB4の北口くんによります。








4/15/2012

3/9 ~4/14

年度末は,いつもは論文量産の時期ですが,今年はそうもいってられなくなりました。AIJ大会,JCI大会,セメギにも投稿できず,マネジメント失敗という感はぬぐえず。

2012年度は,入試委員,教務幹事,研究科同窓会支援委員会委員長,その他・・・,と結構な役職についていて,年度末から忙しさが増えてきています。こういう二次的な業務は,大学という動脈・静脈を理解するには,必須の業務ですので,(日本の)大学人としてはやはり,おろそかにはできません。というわけで,来年度も,出席できる委員会は相当に限られます。
(今のうちに伏線をはっておく。)

さて,そんな募集要項やら,シラバスとりまとめなどをやりつつ,年度末に何をしていたかというと,来年度のプロジェクトに向けて,新しい試験機の性能の話をしたり,見積もりをとったり,再委託先の方と話をしておおよその進行をみたりということをしておりました。

12日,午前中に半休をとって,家族写真を撮りに行きました。双子が1歳になったのでその記念に。本山にある有名なスタジオで,半年待ちということでしたが,その人気にふさわしく,なかなかびっくりするような写真が撮れました。掲載したいところですが,親ばか丸出しで恥ずかしいので,やめておきます。

13日は,試験機に関する打ち合わせ。まだ,市販されていないようですが,来年度,この装置が入ってくると,構造ー材料の間の研究は,結構すすむんじゃないかと思っています。

14日 シラバス打ち合わせ。午後,イタリア調査に関する打ち合わせで名古屋市大に。

17-18日 恒例の勅使川原研との合同ゼミ旅行でした。今年は,豊島,直島でした。
豊島美術館のライズが低いのにびっくりしました。いや,これ,チャレンジしすぎだなあと。変形を継続測定しているらしいので,10年超えたあたりのデータは是非みてみたいところです。
LeeUfan美術館のマスコンは,教科書的だなあと,芸術ではなくてマスコンひび割れに感動している自分はどうかしていると思いました。

みよ,この綺麗なひび割れを。雨上がりにばっちりみえていました。
直島は3度目,地中美術館は2回目でしたが,地中美術館はなんか見せ方が当初とちがって,仕掛けを楽しめないものになってしまっていてがっかりでした。

19日は,某T社のY田さんH川さんに来ていただいて,当方で最近取得できたセメント硬化体の物性に関するデータについて意見交換。たぶん,世界で初めて,しっかりとれたデータと思うのですが,裏付けを進めるには一段とお金がかかりそう,という結論に。
分析はしょうがないですね。ただ,長期的なクリープの進展とか,ある条件での体積変化に関わる重要なデータなので,早い内にどこかに論文化しておきたいところです。

22日は昼は学内で多くの打ち合わせ。夜は名大土木の中村先生と勅使川原先生,寺本君とで飲み会。彼の今後を祝福。

26日は卒業式。謝恩会の後の二次会,その後は体調があまり良くなくて帰宅。残念。おいしいイカでした。


4月2日は,AKK社のM井さんと体積変化関係のデータの意見交換。浸漬熱,および二次元NMRの可能性についての意見交換。同時に測定していたFTIRデータでも,ちょっと面白いことがわかる。(後日,五十嵐の合成C-S-Hデータで,さらに発展的なことに。)

4月3日,天秤の精度が少し甘いんじゃないかという学生の指摘で,マイクロ天秤の見積もりを取る。メトラ-社の技術について学ぶ。質量計はもっとも基本の測定なので,なるべく良いものを使いたいですね。今後のことを考えれば,早めに投資しておくべき機材です。

4月5日,そろそろこのあたりから,今年度のプロジェクトの詳細を詰める段階で各所との調整に入る。プロジェクトの全体方針の確認,関連の研究者へのコメント依頼,見積もり,成果の確認,などなど。東京出張で,朝から晩まで3件,打ち合わせ。

4月6日,この日も東京出張で,朝から晩まで。夜はJCIで今本委員会の幹事会。飲み会はつらくてできなかったのと,そのままかえって大学で事務処理しなくてはいけなかったので,会議後,なくなく大学へ。

4月9日 この日から,研究室の本格的な立ち上げ。今年度,第一回ゼミ。安全講習,研究室内規,研究の考え方,学生生活の指導,M以上は今年度にやるべきタスクの整理,学習すべき事項,各自の研究紹介など。
夕方,AIJの第二次提言とりまとめの足場堅めのため,JNESに挨拶へ。

4月10日 息子が入園。午後は学生実験の打ち合わせ。

4月13日 第二回ゼミ。より具体的なここ2,3ヶ月における研究スケジュールの確認,新しく取得されたデータに関する意見交換。

以前のコメントの続き

http://concrete-nagoya.blogspot.jp/2012/03/blog-post_6200.html
これのつづき。

このエントリーの続きで,結局,規制・推進の枠組みから抜け出せないのは,第3者による評価ができないから,ということ結論づけられる。
推進こそ規制が必要で,規制が推進の存在を前提としているのであるから,原子力の関係者自体にこの膠着状態をひもとくことはできない。
アメリカのように科学アカデミーが存在して,それを承認プロセスは一つの解法と考えられる。
しかし,日本の権威を有する団体が,今から始めて自己批判をも行いながら厳正に中立な立場を獲得できるかはよくわからない。そういう公正な立場を獲得することの重要性と,それを支援する民意も必要であるし,純粋に科学的である人に対して,適切にポジションが与えられるかも見通しがたたない。ないとは思わないけど,それが評価軸になっているようには思えない。


日本の複雑な問題の源は,問題を適切に処理できない人に権力と仕事とお金がいっているという点にある。全部が全部そうだとは思わないが,そういう人がいて問題を作り出していると思う。
問題をさらに複雑にしているのは,処理できない人が世間体を気にして,解決したように見せかけることに全力を費やして,数年たって,結局何も前進していないという状態がつくられるという点だろう。お金をまわした人,権力醸成に貢献した人,についても世間体が同様にあって,それに関わった人間は成果の失敗を全部隠蔽する動機が生ずる。

また,これが可能となっているのは,責任者が不在だからだ。たぶん,失敗を恐れるあまり,お金を出す側もそうでない側も責任ということについてあまり考えずに進めてそうなっているんではないだろうと思われる。


こういうの,大学からかわっていかなきゃ,ダメだと思う。
一つは,経済的な独立というのが重要かも。大学の研究資金が政府依存になる限り,こうした体制はあまり変わりようが無い。
政府の税金制御に介入しすぎる点は,効率的な部分もあるのだろうけども,科学の個の独立を阻害し,長期的には健全なアカデミーの醸成には貢献しないかもしれない。


(以下,思いつくまま,駄文)

あんまり関係ないかもしれませんが,研究のディスカッションをしているのに,まるで人格を否定されたようになって,根にもったり,いきなり個人攻撃になるのはやめてほしいです。偉い人にもそういう人がいて,困惑します。

研究の成果を出すためには,むしろ厳しい意見の方が前進があるかもしれないじゃないですか。研究のコメントって,あればあるだけ自分の得だとおもうのですが。

また,研究の信頼性と個人の信頼関係は別のはずと思います。


それと,研究やプロジェクトには失敗はあたりまえなので,失敗を成果にカウントしないというのも研究評価としてはやめてほしいところです。失敗の理由が稚拙(過去の文献を読んでいない,論理的な展開をしていない,個人の思い込みですすめて周りの意見を聞いていない)なら,プロジェクトリーダーとしては失敗で,そういうのが繰り返されるのなら,やめさせた方がよいでしょうけど,ちゃんとやっていても失敗することは失敗するので。

特に,最近のプロジェクトは期間がものすごく短かったり,予算の使い方が不自由だったりするので,プロジェクトの発注側にも失敗要因をつくっているものはあります。研究開発って,業務発注のように進められる部分とそうでない部分がありますし。
失敗の評価を適切にして,それがあきらかに発注側の要求によるものであるなら,それはそれで報告書に記載して,いずれはもっとプロジェクト発注とか成果を出すためにはどうすればよいかという根源的な課題として,取り入れてもらって改善されればよいと思います。

4/13/2012

近況

ご報告です。

11日の建築学会,理事会付けで建築学会賞(論文)を受賞する栄誉を賜りました。
若輩ではありますが,このような賞を受賞できたことを大変うれしく思います。また,受賞に際して,推薦いただきました恩師・友澤史紀先生に心より御礼申し上げます。

名古屋大学に移動してから,5年を目処に何か一つの区切りをと思ってがむしゃらにやって参りました。移籍時には,さまざまなシナリオを想定した研究室運営を考えておりましたが,科研の若手(A)を獲得できてから,もっともうまくいくシナリオに載ることができました。
このシナリオを練る際には,研究室運営についてさまざまにご教授いただいた広島大学・佐藤良一先生の教訓と研究に対する思い入れが大変に生かされました。御礼申し上げます。

研究室立ち上げ時の研究室に配属され,その後,博士号をつい最近獲得した寺本篤史くんの貢献は,大変に大きく,感謝いたします。
研究室の立ち上げで,最初は埃をかぶっていた実験室を片っ端から片付けて,割れまくっていた床にPタイルを貼って養生室をつくった思い出は今も思い出されます。彼が卒論時に50回実験して,やっと一つのデータが出たときは大変うれしかった。
この最初に一緒に開発した,線膨張係数・全ひずみ同時測定装置は,今も時折,建築学会の構造系論文集に登場しますが,数多くの論文と新しい発見を生み出した装置の一つです。この装置は今も現役で,世に無いデータを生み出し続けています。

岸直也くんは非常にユニークな学生でした。しかし,収縮に関する研究では1000個以上のサンプルを取り扱って,収縮理論の提案に大きな貢献をしてくれました。彼のガッツは,研究室全体に新しい活力を生んだのでした。それと並行して,あのとき,方々から借金をして購入した吸着等温線測定装置もまた,新しい発見を生み出し続けています。この投資は,本当に大きく実りました。研究に対する投資のタイミングと自分の直感力への自信はその後の研究方針に大きく影響を与えました。

五十嵐豪くんは,水和反応に関する私の思いを一心に受け入れてくれました。彼の行ったおそらく2000パラメータ近くのサンプルによって,セメントの水和反応に関する現象については,ほとんど直感的には理解したと思っています。それと同時に限界もわかりました。いくつかの点はある種の装置を開発せずにはひもとけず,それには膨大なお金がかかることも。
五十嵐くんの教育には,私がこういう教育を受けたかったという研究者のための教育すべてが反映されています。ある種,夢の押し売りなので,気になるところも多いのですが,今後,彼がどういった成果を生み出していくかについて,私は大変期待しています。

その他にも堀口直也くんをはじめ,多くの優秀な学生と一緒に研究できたことは望外の喜びでした。

名古屋に移籍後,関連業界の方々にはさまざまに支援をいただき,研究の機会を与えていただきました。共同研究,寄付金,さまざまな情報,個別に行うディスカッション,非常に多くのサポートをいただいたことを心より御礼申し上げます。このご恩にどうにかして,今後,報いていきたいと思っております。

また,周りの先生方,特に年配の先生方には,多くのアドバイスを研究,大学生活全般に渡ってご指導をいただきました。現研究室の勅使川原先生には,構造に関わる多くのご教示をいただくとともに,学内において私が研究をしやすい環境を作っていただきました。改めて御礼申し上げます。


今,こうして書いていますと,あの立ち上げ時とは多くの点で変わってきていることに愕然とします。ゲージ1枚,サミット管1個に対して,学生に怒鳴っていた状況とは異なっていて,別のプレッシャーの下でさまざまなプロジェクトを運営させていただいています。

研究環境としてはすばらしく整ってきたのですが,ふと思うと,あのときの立ち上げの苦労と楽しさを学生と体験することが教育なのでは,とも思います。今一度,初心に返って,学生とともに研究に苦悩していきたいと思います。

(だからといって研究費が必要無いとか邪魔だというわけではありません!)

つらつらと思い浮かべますと,さまざまなご縁はすべてむすびついています。そもそも恩師・野口先生にVRTMの課題をいただけなければ,試験機の開発において考えるべきことを習得できなかったわけですし,また,水和モデルの課題をいただけなければ,こうした方向性でスタートを切ることができませんでした。両者の課題からデルフト工科大学でブリューゲル先生にお会いできて,ヨーロッパ的な研究哲学に触れることができました。すべてがつながって,こうした機会を得ることができたわけで,みなさまには心より御礼申し上げます。

引き続き,建築業界,建設業界,あるいは日本の現状と未来をよりよくするために,私のできる貢献をしていきたいと思いますので,どうぞ,よろしくお願い申し上げます。