3/08/2012

博士

私の指導学生で、一人やっと博士の学生が出ました。昨日教授会で判定されました。
長いようで短かった。
彼は、研究室の立ち上げ時から現在にかけて非常に多くの活躍をしてくれました。

3月8日

本日は午前中に新4年生(まだ3年生)に対して、私の過去の論文についてのモデル系の論文について、3時間かけて解説を行った。これは、うちの研究室で抱えているプロジェクトの根底にある流れと思想を理解してもらうためだ。
一方で、こういったモデルなり問題への取り組みというのは、手を動かさないと頭に入ってこないというのは当然のことなので、やはり3月末くらいから簡単な練習に入っていくのが良いと思っている。
例年、立ち上げの善し悪しによって、学生のノリも変化するので、苦慮している点である。今度の4年生は、どんな形で成長する・してくれるだろうか・・・。

午後は、企業の形と打ち合わせ。非常に面白いデータが出ているのだけども、これをどこまでつめて、どう落とすかというのを議論したかったけれども、遠慮されたのだろうけどうまくまとまらなかった。
が、その後、少し学生と話をして、方針を考えた。

3月は例年、少し時間ができる時期で、ここで1,2本は論文を書いておかないといけないなとは思うのだけれども、重い国際会議論文の原稿があってうまくはかどっていない。骨格をつくって、早く英文チェックにまわさないといけないのだけれども。

来週前半には骨格を作ろう。


吸着等温線関係、収縮低減剤・線膨張関係、骨材関係x2、くらいは論文がかけるだけのデータはそろっているので、考察を深めていきたい。

それ以外に、収縮関係で非常に面白いデータが3事例ほどある。これもうまく暖めて論文化しなくては。


3/06/2012

学生の留学

特に多くの博士を出しているわけではありませんが・・・.

私自身,学生の時にデルフト工科大学にいって,研究とはこういうものか,と驚きを体験したので,学生には,留学を勧めている.

修士課程-博士課程のプロセスでは,修士課程に多くの論文を書き,なるべく学振にうかるような体制を研究室でつくること,同時に博士課程で博士論文提出のクライテリアをなるべく早く満足するようにすること,というのを支援している.
その上で,十分な進捗で,かつ研究的にも成熟している場合で,海外でGive and Takeで信頼関係を構築することが期待できる学生には,留学を勧めている.
今回は,T君のイリノイ大学につづき,I君がEMPAに行く.

正直,私もうらやましい・・・.

うちの研究室では,私が受けたかった教育を学生に与えられるよう努力している.興味のある学生さんは,是非,来てください.


規制とか省庁とか.

実は一回変えて消したエントリーがある.どうやってまとめればよいかわからなくなったので,結局消した.

省庁とか規制の問題に共通する問題として,リ・エントリー

原子力保安院が規制庁になるに際して,推進派と規制派の間で人事交流をしないようにするというよう話があった.今の世論に従えば,そうすれば良いことができるような”雰囲気”があるんだとは思うが,本当にそうだろうか.
これは,もはや構造の問題である.
すなわち,規制庁というのは,推進派がいなければ,あるいは原子力分野がなくなれば廃止である.その観点で,本質的に規制庁というのは,推進派に依存せざるを得ない.人事交流をたったところでこの本質的な枠組みから脱却しないかぎり,規制庁に世論が期待するようなことはできないだろう,とも思う.(これは保安院なら良いとか,保安院の人ならできるとか,そういう趣旨ではない.)

もう一つ,本来,推進派こそ規制を欲している.いま,人々に信頼されて原子力を稼働するために何をしたらよいのか,というクライテリアを欲しているのは,原子力推進派の人たちだろう.本来規制というのは,そういったものだ.対立するということではなく,その関係から,世の人々に納得する形を生み出し,フェアーにものごとをすすめるためのものだ.


同じように,各省庁の問題もある.各省庁はその産業があるから成り立つ.それ故,その産業を振興するための手立てについてはどうしても検討したいというインセンティブがある.全体をスリム化したいという時には,この構造では問題解決ができない.
国民がどういった形態を欲していて,そのためにはどういった合意がなされるかということが国会議員だったのだろうけど,その世論代表たりえていないので,いつまでたっても民意という形でものごとがすすまない.

ううむ.ここまで書いてやっぱり,落としどころが難しいなあと.この話をおしすすめるとかなり角が立つ話になってしまって,よくないかもしれない.
ということで,こういう構造になっていて,それを脱却するためにどうしましょうか,という話をした方がよいよ,というところでこのエントリーは終わる.

新しいデザイン

新しいデザインにしてみたら,どうやって更新すればよいのかわからなくなってしまった.自分の名前クリックしたりしていたら,ここにたどり着けた.前の方が便利だったかな.

3/04/2012

近況 その2

マーク・ピーターセンの「日本人の英語」、という本が岩波書店から出ていて、この本には「続」も出ている。日本人の感覚と英米人の感覚の違いにもとづいて、たとえば、冠詞の違いや名詞の使い方でいかに背景の意味が変化するかということを事例に基づいて説明してくれている本である。

日本の英語教育における英作文がいかに英語圏の文化を無視して進んだしろものか,ということがよくわかる。

高校のときか、東大の教養の時に紹介されて、一度読んだきり本棚の隅にあったわけだけれども、ふと手をとって読み直してみるとこれは本当に良書である。

どうも、私は成熟度にちぐはぐなところがあって、麻布とか東大教養のときの友人の言葉をふと思い出して、かれらはこういう感覚で当時ものをいっていたのか、と驚くことが最近でも良くある。そして,当時の自分を思い出し,比較し,自分の未成熟ぶりに恥ずかしがったりする。

この本もそうで、当時、A君がこの本は素晴らしいと熱弁をふるっていたわけだけども、結局、巡り巡って、私がこの年でこの環境になるまで、この本の良さは認識できていなかったことを思うと、A君というのはどんだけすごいんだろう、と思う。
本というのは、タイミング、というのは全くその通りで、本に見合うだけの知見なり考えなりの成熟度が無いとただの知識の断片として残るだけで、頭の片隅で終わってしまうものも多い。

まずはインデックスもないとこういった結びつきができないので、そういった入り口的に評価することも大事だし、もう一方で、本当の血肉とするにはタイミングに依存していて、そのときがくるまで、自分を鍛えておくしかないかなあと思う。

別に最後にもりあがって,なんなんだ,っていう結論は無いんだけど,本との付き合いは,やはり一生取り組んでいかなくてはいけないなあと。
あと,良書っていうのはあるところにはあるわけで,自分のタイミングで良書にどれだけ出会えるのか,っていうのは努力なのか運なのか・・・。

近況 その1

結局、2月は2件だけだった。こまめにかけなくなっちゃったな。


修論発表会後は、いくつかのプロジェクトの報告書へ向けての活動。一部は今書いている現在でも継続しているものもある。いずれもかなりのボリュームのタスクだったけれども、学生さんたちにサポートしてもらった。多謝。
近年、責任のあるプロジェクトを引き受けさせていただけるようになってきたのだが、その規模が大きくなるほど、末端までのコントロール力が問われているようになる。目標までのプロセス・ステップを切り分け、各プレーヤーにゴールを設定して、進捗状況に合わせてゴールを変更して、落としていくというのは、プロジェクトが大きくなるほど片腕となってくれる人材の数が必要になる。逆に言うと、大学では片腕となってくれる人の数以上にはプロジェクト数を増やすことができない。

ということを考えると人材の育成と確保というのは、大学でプロジェクトを遂行する上でも重要な課題である。


さて、数あるプロジェクトの中でも出口の高度さという観点でいえば、某プロジェクトのハードルは結構高い。要は、(簡単にいいすぎると不適切かもしれないが)、建築物に求められる機能についてどれだけのパフォーマンスをもっているか、を吐き出せっていうことと考えられる。
現状の建築分野における設計では、想定外力に対してある程度の余裕度をもって作ることで安全と考えようとしているわけだが、設計における条件と建物の性能、という点に少し乖離があるようだ。もちろん、住宅性能表示における耐震等級みたいなものはあるんだけれど。

(すでに気づかれて研究をされている先達がいることは十分承知の上で・・)
一般建築物については人命保護を第一目的としていたために、それ以上のパフォーマンスについて踏み込むような検討はやや希薄だった。あるいはやってはいるんだけど、その先の具体像をつくって共有して、社会的にフィードバックすることをやってこなかった、ということかもしれない。
損傷評価も、破壊モードの同定も、完全ではないわけで。その先のことをどうこう、というのは、たとえばRCのことを知れば知るほどやや無謀のようにも思えるので、強い要求がなければ、自然と避けてしまうのは無理も無いように思う。

一方で、今回の震災で、新耐震の建物が壊れず、むしろ、その後の継続的な建築内の経済活動についての評価が世論として求めらるようになっていることを考えると、建築構造-構法-材料分野は、天井落下とか雑壁のキレツとか、そういったものにも目を向けて機能維持に対するパフォーマンスを評価する枠組みを検討していかねばなるまい。
今現在、個別に取り組みを行っているわけではあるが、建築物としての階層構造の中で、これらの機能保持からどのように設計を体系づけるかという問題は、今後の一つの大きなテーマだと思う。そこまで要求される建物がどれだけ増えるか、というのは別として。

結局、天井にしても壁にしても、あるいは別の内外装材にしても、人の安全という観点からは一緒の尺度で考えるべきものであるから、部材で区切るというよりは建物として考えるということは、本来あるべきことだ。
考え方自体は建築研究所の性能総プロのときに議論は相当にされているし、今も多くの研究者に理想的な漠然とした像は共有されているけれども、あまたある部材をどのように落としていくかというとなると、棚上げされた状態にあると言える。

建築材料の人は、一度、設計に立ち戻って自分の立ち位置と細分化された建築の諸分野の人とどう連携して何を出力するか、という見直しを行った方がよいと思う。